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賢治の「狼森、笊森と盗森」は、どこかからやってきて住みつく場所を探していた一族が森に囲まれた野原をみつけて村建てをする話だ。この話に出てくるような黒坂森、狼森、笊森、盗森に囲まれた集落というと姥屋敷であり、賢治はここを念頭において、物語を書いたのではないかと言われている。そこで、姥屋敷がどんなところか訪ねてみたら、思った通り、森に囲まれた懐かしい趣の小さな古い集落だった。そして、黒坂森の辺りの土地を持ち、盗森で岩魚(いわな)の養殖を営んでいる石川文雄さんに偶然お会いし、小屋で話を聞かせていただくことができた。 編集部:石川さんは、姥屋敷のお生まれなのですか?
石川文雄さん:そうです。私の家は代々ずっと、姥屋敷です。この集落がいつ頃から続いているのか、正確にはわかりませんが、集落の真ん中にある神社の大木は樹齢600年くらいですから、集落もそれくらいは続いているのではないでしょうか。 |
周囲を森に囲まれた姥屋敷の畑、かつては焼畑農耕だった |
編集部:石川さんは、ずっと岩魚
の養殖をやっていらっしゃるんで
すか?
石川文雄さん:いえ、長く小岩井牧場
に勤めていて、定年で退職してか
らここで岩魚の養殖を始めたんで
す。その前からここの清流をいか
して何か仕事をできないかいろい
ろ試みていたんです。
編集部:宮沢賢治の「狼森、笊森と盗森」は、姥屋敷のまわりの森の話ですが、石川さんたちは小さい頃から、この話をお聞きになっていたんでしょうか?
石川文雄さん:それが、まったく知らなかったんです。私の子供の頃は戦時中ですから、学校で教えたりすることはかなり制約があったのだと思います。そういう世相で、宮沢賢治はとりあげにくい人だったんでしょう。私は、ずっと賢治のことをほとんど知らなかったんです。 編集部:作品の舞台で生活をしている方が賢治の物語を読まれて、いろいろ気がつかれる点があるのではないでしょうか。
石川文雄さん:賢治について書かれたものを読むと、この辺りは賢治の時代にも立派な林におおわれていたと思っている人が多いようです。「ワルトラワラ」という雑誌の創刊号にも書いたんですが、実際には、かつてはかなり違った景観だったんです。
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編集部:「狼森、笊森と盗森」にも、岩手山が森の様子を見おろしている様子が描かれていますが、岩魚の養殖に使っている水も岩手山から流れてくるんですか? 石川文雄さん:そうです。この辺りで岩手山の伏流水が湧き水になり、やがて北上川に流れこみます。 編集部:岩魚という魚は養殖が難しそうですが、どうやって軌道に乗せることができたんですか。
石川文雄さん:いろいろ試みているうちに、岩手山の伏流水が湧き出すこの辺りは、岩魚の養殖に適した珍しい場所であることがわかってきたんです。
岩魚が育つにはまず水がきれいでなくてはならないし、水温が10℃前後である必要があります。ここは、地下から水が湧き出したばかりの場所なので、1年中10℃前後のきれいな水を使えるんで、年間通して養殖ができます。
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編集部:石川さんが育てた岩魚はどこに出荷されるんですか? 石川文雄さん:ここでとれるのは、量がそれ程多くないので、主に小岩井農場に納めています。
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