ヒマラヤは世界の民話の吹きだまり
現代のイーハトーボの「広葉樹林を活かす循環型産業をめざす岩泉純木家具」で紹介したクマのミイラの話を賢治さんならどんな童話にするだろうかと思っていたら、「こんな童話ができたんですよ」と言って工藤さんが教えて下さったのは「クマのたんす」という作品だった。
無垢の木を使って丁寧な家具づくりを続けてきた父親が亡くなり、息子が後を継いだものの大量生産品に押されてお店がピンチになる。「困ったときには仕事場に奉ってあるクリの板に手を打てば、クマが助けにきてくれる」という言い伝えを思い出して拝んでみると本当にクマがやってきた。クマが言うことには、100年前にクリの木が、子どもだったクマを鉄砲を持った人間から守ろうとしてとじこめたまま、ずっと眠っていた。そうとは知らずその木を買った先々代が、板にしようとして削ったので100年ぶりに目覚めたというお話だ。
作者の茂市久美子さんにお会いした。
編集部:「現代のイーハトーボ」では以前、岩泉で民話の採集をしていらしてご自分も語り手の高橋貞子さんにお話を伺いました。茂市さんは岩泉の隣の新里村だそうですが、小さい頃に民話を聞かれましたか。
茂市さん:私もネパールのシェルパ族の民話を採集したんですよ。ひいおばあさんが大変な民話の語り手で、小さい時から昔話を聞いて育ったので民話が大好きでした。それで、世界でいちばん空に近い国に住んでいる人はいったいどんなお話を聞いているのかしらという興味があって、ネパールの中でも最も標高の高いところに住んでいるシェルパ族の村へいきました。1977年から足掛け3年ですから、もう22年前ですね。山から山へ歩き、夏に二度ヒマラヤに出かけてシェルパ族の民話を集めたんです。
ネパールにでかけることになったきっかけは、そのころ東京で偶然、ヒマラヤを愛する写真家の藤田氏と出会ったこと(藤田氏と後に結婚することになった)。来年は青いケシを撮りに行くと聞き、一緒にネパールへ連れていってもらったんです。親の反対をおしきってね。以前からヒマラヤにはとても美しいまぼろしのケシの花があるって聞いて憧れていたんです。今はちがいますが昔はヒマラヤはベールにつつまれていましたし、雨期は遠征隊もトレッカーも行かない季節だから、雨期の山の上はどんな様子か全然わからない時代だったんですね。そのときの紀行文と民話を収めた「ヒマラヤの民話を訪ねて」という本が、白水社から新装版で出ています。
編集部:遠く離れた国のお話は、小さい頃から聞いていた話と較べてどうでしたか。
茂市さん: シェルパの民話を集めておどろいたのは、イソップやグリム、ペローとそっくりの話があったことです。本に収録した「ウサギとばか息子」は「長靴をはいた猫」の猫がうさぎになったような話だし、他にもライオンやキツネが出てくる話、赤ちゃんを森に隠す話など、聞いたことのあるストーリーのものがいくつもありました。 カラコルムに行ったときに教えてもらった話は、お姫さまが生まれて糸を巻いてつむに刺されて百年眠ってとなりの国の王子が現れるというもので、「眠り姫」とまったく同じ展開だったんです。ネパールは、中国、チベット、インドの文化をはじめとして、世界中の昔ばなしが集まってくる、吹き溜まりのような場所なんですね。 ヒマラヤに雪男が住んでいるのに対し、カラコルムには、パリとジンが住んでいます。パリは妖精、ジンは悪魔のように思われています。パリは、ペルシャ語のペリにあたり、このペリが英語のフェアリーの語源になったという説もあります。そんなこともあって、もしかして世界中のお話がつながっているんじゃないかなと思いました。
一方では、夢とか希望とか人間の考えることは同じだから、世界中でバラバラに同じ様なストーリーができるんじゃないかしらとも考えました。だから、無理してつなげることはないかなって。
インタビューの後で、茂市さんの「ヒマラヤの民話を訪ねて」を入手して読んでみた。なる程、ネパールの民話には、ヨーロッパや日本の民話とほとんど同じ構造をもつ話が多い。たとえば、「ガ・セガ・ユガ」という話は、王位を継承する候補者の少年が、その条件として、さまざまな無茶な課題を与えられるが、賢い少年は動物などの助力を得て、難題をつぎつぎに解決していく。これは、ヨーロッパの民話の典型的なパターンのひとつだし、日本の「竹取物語」も似た構造をもっている。しかし、「ガ・セガ・ユガ」の場合、世継ぎのいない王様がひとりで町にでかけていき、町で出会った貧しい家の賢い少年を世継ぎに選んだところ、大臣たちが反対して、少年に試練を課するという展開になっている。この展開には、ネパールやチベット文化圏の王権に対する考え方(チベットでは、ダライ・ラマの後継者を血縁者から選ぶのではなく、生まれ変わりを町や村で探す伝統をもつ)が投影しているのかもしれない。このように、地域を越えて伝わっていく物語の構造と、地域色が現われる話の細部の組み合わされ方に着目するのも面白い。また、「ヒマラヤの民話を訪ねて」の中の「昔話の語られる場」に出てくる、ネパールの人たちが知っている昔話には、チベットへの旅の途中で仲間から聴いたというものが多いという事実も、民話の伝わり方を考える上で示唆的だ。旅の途中で雪のために移動ができなくなったテントの中などで、誰かが昔話を語ると、他の者も負けじとレパトリーを披露することになるのだという。旅の途中では、違った種族の人どうしが同宿することも多いから、こうした異なる文化の間を昔話が伝わっていくことになる。
茂市さん作「クマのたんす」 |
編集部:茂市さんがひいおばあさんから聞かれた話は、どんなお話ですか。
茂市さん:あのあたりはみんなそうかなと思うんだけど、遠野物語に出てくる話と似たものが多いんです。大きくなってから遠野物語を読むと、あれもこれも、おばあさんから聞いたことがある。それがちょっと離れているために、語り継がれるあいだに少し変わったり、土地に根ざしたかたちに若干アレンジされているんです。遠野がルーツということではないかもしれないけれど、あのあたり一帯の昔話は似ているんですよ。高橋さんのお話も似通っているのではないかしら。
編集部:「クマのたんす」の話は、どういうふうにしてできたんですか。
茂市さん:工藤さんとは、前にお会いしたことがあったんですが、知人に勧められて工藤さんが書いたエッセイを読みました。大きな栗の木の中からクマのミイラが出てきたという話に惹きつけられて、工藤さんを訪ねて、詳しい話をうかがいました。
工藤さんのエッセイで、仔熊が100年間も木に閉じこめられていたという話を読んで、「眠り姫みたいだなっ。」とひらめきました。仔熊が死んでミイラになってしまったのではなくて、木の中で100年間眠っていたんだと考えてみると、パアッとはじけるようにお話のイメージができてきて、熊の恩返しの話にすればいいと思いつきました。
工藤さんから、樹齢300年の大きな樹を使って300年使ってもらえる家具をつくるというお話を聴いて、そういう家具屋さんと熊の恩返しというモチーフを組み合わせて「クマのたんす」という話ができました。
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