岩泉の昔ばなしの豊かな世界
長年、岩泉町の民話の聞き書きを続けてこられた高橋貞子さんにお会いすることができた。高橋さんのお話をうかがっていると、生き生きとしたリズム感やユーモアの感覚など岩手の民話の豊かな世界がおのずから伝わってくる。賢治の物語を育んだのもこうした土壌なのではないだろうか。
講演会の高橋貞子さん |
編集部:高橋さんは岩泉の昔ばなしの本を何冊も出していらっしゃいますが、どんな経緯で民話の採集をはじめられたのでしょうか?
高橋貞子さん:小さい頃は、父や母、祖母、伯母から、昔ばなしをたくさん聞いて育ったんです。しかし、字を覚えて本を読むようになるとその方が面白かったのか、昔ばなしのことは忘れていました。ところが、結婚して子供を産んでから、不思議なことに小さい頃に聞いた昔ばなしを突然、思い出しはじめたんです。
はじめに思い出したのが、「火っこをたんもうれ」という言葉でした。心のいいお爺さんお婆さんの隣りに、良くないお爺さんお婆さんが住んでいて、しょっちゅう火種をきらしてとなりの家にもらいにいくという話の中に出てくる言葉で「火種をください」という意味です。子供をもつようになったらこの言葉を思い出したのは、祖先の人たちが、昔ばなしの火種を切らさないで欲しいと私にむかって叫んでいるのではないか。そんな気持ちになりました。
それで、自分で昔話を思いだしながら書いてみると、覚えていない部分も多く、きょうだいに聞いたりして補ってみたりしました。まわりの友達に聞いてみると、小さい頃に昔ばなしを聞いていない人も多く、自分たちはたくさん話を聞いて育った点では特別だったらしいと気がつきました。それから、今のうちに岩泉の昔ばなしを記録しようと思うようになり、折りがあると話をうかがって書きとめるようになりました。それとともに、自分が住んでいる岩泉についても知らないことばかりなのに気がつき、知りたいことが沢山あるのに、3人の子供を育てることと、家業の薬屋の仕事に追われて時間がなく、20代の時にはあせる気持ちでいっぱいになったこともあります。そんな時に、今のうちは子育てに専念し、そのうち少しずつ話を聞いて書きとめ、50代になってからそれを本にすればいいと開き直り、それから気持ちが楽になりました。実際に、その時に思った通り、50代になって聞き書きした昔ばなしをまとめて「火っこをたんもうれ」という表題の本を出すことになりました。
編集部:昔ばなしをたくさん知っている方からの聞き書きは、どのようにして進められたのですか?
高橋貞子さん:かつては、まわりの地域から岩泉町(かつての岩泉町と5ケ村が合併して今の岩泉町になった)に買い物などの用事で来られた方は、バスの本数が少なく、バスが出るまで長い時間、待たなければなりませんでした。家業は薬屋だったので、そういう方に「おちゃっこどうぞ」と入っていただいて、待ち時間の間に昔ばなしを話していただくこともしばしばでした。もちろん、こちらからも、遠くまでお訪ねして、たくさんの方たちの話を聞かせていただきました。
さいわい「火っこをたんもうれ」が出版されると、岩手放送やNHKでこの本に記録した昔ばなしを紹介してくださり、それからは、子供や孫に「高橋さんに話を聞いてもらってこい」と言われ出向いてくださるお年寄りも多くなりました。
編集部:岩泉の昔ばなしの特徴は、どんな点にあるのでしょうか?
高橋貞子さん:学者ではないので、他の地方と較べてどういう特徴があるのかはよくわかりませんが、語り手と聞き手の掛け合いが大事にされています。私たちが小さい頃にも、昔ばなしは黙って聞くものではなく、「はあ、はあ」と丁寧な言葉であいづちをうつのが礼儀だと、父や伯母に教えられました。
志波郡の昔ばなしの本を読むと、とても丁寧なあいづちの言葉が出ています。語り手が「むかしあったじもなし」と語ったら、聞いているおばあさんは「くちにえぼしはあ」とこたえたと言います。口に烏帽子をつけて承りますというとても丁寧なあいづちです。
岩泉にも古いあいづちがあるのではないかと探していたのですが、下岩泉の方が、「なにがはやー」というあいづちがあったことを教えてくださいました。「なにがいったい、どうしたんですか、早く聞かせてください」といった意味のあいづちです。
話の結びの言葉もいろいろあります。遠野では「どーんとはれ」というそうですね。岩泉の中でも「そればっかり」とか「どっとわれえ」などと言いますが、面白いことに「はなしはそればっかり キノコ汁」という結びの言葉の所もあります。
岩泉はキノコが豊富な所で、マツタケとシメジ以外はとろうとしないと言うぐらいです。
どうして話の結びがキノコ汁になるのかよくわからないんですが、キノコ汁をご馳走する時のけっさくな言葉の掛け合いがあります。キノコ汁を出す方が自慢して「えへんぼっかりキノコ汁」と言うと、ご馳走になる人は「けっこうまっこうキノコ汁」という言葉をかえすんです。
こういうやりとりからも、岩泉の人たちは、言葉のユーモアのセンスがとても豊かなことがわかっていただけると思います。
昔話の語り聞かせに集まった子どもたちと |
編集部:なるほど、賢治のユーモアもそういう土壌とつながっているのかもしれない、という気がしてきますね。岩泉には、風の又三郎のような風の神が出てくる話はありせんか?
高橋貞子さん:風の神が出てくる話はないですが、賢治の話で「どうと風が吹く」と同じように、何か異変がおきようとしている時に生臭い風が吹く、というのがよくあります。
逢魔(おうま)が時によくそういうことがおきます。いちの暗がりとも言い、日の入りと月の出までの微妙なひととき、いちばん暗くなる時間帯が「逢魔が時」です。たとえば、花嫁行列をしていると生臭い強い風がふいて、みんなが飛ばされないようにしているうちに、気がつくと何者かに花嫁がさらわれたりします。
岩泉の昔ばなしでは、言葉のリズムがとても豊かなのも、賢治の物語と共通するところです。たとえば、山間の焼き畑の近くの出作り小屋に子供たちだけが泊まり、親は夜中に狐やムササビが来るから追い払えと言って、どこかにでかけて行くという話があります。その中で驚いて山をかけ降りるのを「てててて、ててててとくだった」と話します。とても感じが出るでしょ。こういう場面で「ころんずまろんず、はねおりてきた」などとも言います。暗闇の中で遠くの方に明かりが見える様子を「てっかほろぅ、てっかほろぅと見えました」とか、ぴったりの音の表現がたくさんあります。
編集部:昔ばなしを話すのにふさわしい時というのは、どんな時だったんでしょうか?
高橋貞子さん:岩泉では、子供が不安な気持ちになっている時、不安をしずめるのに、昔ばなしを語ったようです。昔は凶作がたびたびあったし、暴風雨のときもあったし、ある時期には百姓一揆などもありました。百姓一揆のときは、合図にほら貝を吹く。その音が子供にとってはとても恐かったそうです。おばあさんから聞いたが、夜中にほわーっという音がして、男がたっていくのを女たちが送る。子供は残されて、おばあさんにしがみついてた。そんな時に、おばあさんは昔ばなしをしたんです。最近だと、たとえば家の中に不幸があった時、おばあさんと子供が家の中に残って心細いときです。
大人たちも、山仕事に出て山小屋に泊まる時、大人どうしで昔ばなしを語りあった。興味が湧いてくれば源平に分かれて昔話合戦をしたそうです。これも、人里離れた山小屋に泊まる不安感とつながっているのでしょう。
高橋貞子さんの本
「岩泉の昔ばなし……火っこをたんもうれ」 1977年、熊谷印刷出版部(絶版)
「岩泉の昔ばなし……まわりまわりのめんどすこ」 1978年、熊谷印刷出版部
「岩泉の昔ばなし……昔なむし」 1991年、熊谷印刷出版部
「河童を見た人びと」 1996年、岩田書院
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