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宮沢賢治とは誰かイントロダクション
▽このサイトの狙い 宮沢賢治は日本で世代をこえてもっともよく読まれ、愛されている作家のひとりである。約100年前の1896年に岩手県で生まれ、37歳の若さで亡くなった。そのため、生前に出版されたのは童話集「注文の多い料理店」と詩集「春と修羅」だけで、ほとんど世に知られていなかった。しかし、彼の死後、書き残した多数の童話と詩などが編集され出版されるとともに、作品世界の豊かさと深さが広く認められるようになった。 1996年は賢治の生誕100年にあたり、故郷の岩手県をはじめ各地でさまざまな催事が開かれただけでなく、賢治をめぐる多数の書籍が出版され、たくさんのテレビ番組と何本かの映画が製作され-------といったようにさまざまなメディアをあげての大きなブームとなった。この現象には大手の広告代理店や鉄道会社が仕組んだブームという面もあるが、それだけのこととはとても言えない。 近年、世代をこえて熱心な賢治の読者が増えていて、これには、日本社会のいき詰まりを感じている人たちが、賢治の著作に新たな方向を探っていく手がかりを感じとっているという面がある。 このように日本国内ではもっともよく読まれる著作家の一人になっているにもかかわらず、海外では賢治はいまのところほとんど知られていない。それなら、賢治の作品の豊かさ、深さを海外の人たちにも知ってもらうきっかけをインターネット上でつくろう、というのがこのサイトの主な狙いのひとつである。 賢治の著作は、国や文化の違いにかかわりなく、現代の困難な課題に挑もうとする人たちを励ます力をもつと思われるからである。
▽辺境的な地域に根を下ろした世界的な普遍性
▽賢治のコスモロジー 賢治は、生き物はみな兄弟であり、生き物全体の幸せを求めなければ、個人のほんとうの幸福もありえないと考えていた。しかし、単に理念としてそう考えただけでなく、山野を歩き生き物や鉱石、風、雲、虹、星との関わりのうちに、しばしば我を忘れて没入する人だった。賢治はそうした自然との交感に至福を見いだしていたし、賢治の文章の豊かな活力の源泉も、そうした森羅万象との交感から得たエネルギーにあった。 賢治のたくさんの作品群から、自然に対する近代の人間の傲慢さ知り、人と生き物と地球と宇宙の関係を捉え直す、新たなコスモロジーへの方向づけを、読者は読みとることができるだろう。
▽排外主義的な日本社会に対するオルタナティブの探究 |
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