編集日誌 No.46より

賢治の「インドラの網」は、空気の希薄な夜のツェラ高原を歩く「私」が天の空間に迷い込んで三人の天の子供たちと出会い、子供たちと一緒に日の出を迎える話だ。このインドラの網というのは華厳経や華厳五教章に出てくる言葉だ。インドラ(帝釈天)の宮殿にかかる網で、網の結び目のそれぞれに宝珠がついていて、そのひとつひとつが他の一切の宝珠を映し出すという深遠な世界を示す言葉である。これは、それぞれの場所から世界を感じとっている人たちがインターネットで結ばれているイメージに通じるものがあると思っていた。
中村量空さんの「複雑系の意匠」(中公新書)を読んでいたら、驚いたことに、それと同じような記述があった。「重層構造の鏡の機能をもつインドラのネット(網)は、現代社会の情報のネットワークに似ている。」「私たち一人一人はインドラのネット(網)の宝珠のようなものである。個人個人が関係を結び、互いの姿を映しあいながら生きている。」
この本の中には「縁起のパラダイム」という章があり、華厳経の思想を複雑系につい て考える大事なヒントを含むものとしてとりあげている。