編集日誌 No.52より

「宮沢賢治の作品世界」では、「原体剣舞連」「種山ケ原」「風の又三郎」の関連を考えた一連のページを掲載している。このページの原稿を書く時に「原体剣舞連」「種山ケ原」に出てくる剣舞と1917年の江刺地方の地質調査の際に賢治が見た剣舞、さらに江刺地方で現在も継承されている剣舞の関係をどう考えればいいのか疑問に思い、そのうちこの地方に出かけて調べてみたいと考えていた。
 最近たまたま、中路正恒 さんの"nomadologie" というサイトの中に「宮沢賢治の「原体剣舞連」をめぐって」という文章があるのを見つけた。
 この中で、原体剣舞の庭元に伝わる家伝書によると、黒面をつけた人(賢治が青仮面と書いているのは実際は黒い仮面)が演じるのは空也上人であり、とすると青仮面を悪路王に結びつける賢治の解釈は誤解だと、中路さんは書いている。
 しかし、江刺市の調査によると江刺の14の剣舞のなかに、ひとつだけその起源として悪路王との関係が語られている、熊野田剣舞という剣舞がある。賢治は、この剣舞のことを江刺地方の地質調査の際に聞いた可能性があるのではないかと中路さんは言う。
 また、補説によると、賢治の短歌に出てくる上伊手剣舞は熊野田剣舞と同じ系統のもののようだ。となると「原体剣舞連」の詩には、上伊手剣舞の印象が投影されている可能性も強くなる。
 この中路さんの文章のお陰で、賢治の「原体剣舞連」をめぐる事実関係がかなりすっきりしてきたようだ。
 なお、中路さんからのメイルには、中路正恒著『ニーチェから宮沢賢治へ』(創言社、1997年)も読んで見て欲しいと書いてあった。