編集日誌 No.79より

 宮沢賢治とニーチェの関係というと唐突に聞こえるかもしれないが、二人の思索や表現の深層には意外に共通するものがあったと思われる。妙な仮定だが、もし、ニーチェが「風の又三郎」を読んだとしたらと考えてみたくなる。ニーチェはおそらく「風の又三郎」に感銘を受けるのではないだろうか。
 逆に宮沢賢治はニーチェを読んでいたかと言うと、多分、読んでいたと思われる。というのは、「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」には、ニーチェの名前が出てくるのだ。
 前に編集日誌No.60で書いたように、この話は、「グスコーブドリの伝記」がA面だとすると、そのB面のような関係にある。飢饉で両親が死んでしまうというはじまりは同じだが、ブドリは苦労の末にイーハトーブ火山局の技師になるのに対して、ネネムは出世してばけもの世界裁判長になる。ブドリの方には、賢治の生真面目な面が投影されているのに対して、ネネムには、滑稽な話をはじめると羽目をはずす賢治のもうひとつの面が投影されている。ばけもの世界裁判長になったネネムは奇知にとんだ裁判で名声をあげるが、調子に乗りすぎて、よろけてばけものの世界から人間の世界に転落してしまう。このお調子者のネネムを判事が「実にペンネンネンネンネン・ネネム裁判長は超怪である。私はニイチャの哲学が恐らくは裁判長から暗示を受けているものであると主張する。」などと言ってもちあげるのだ。「超怪」という言葉も、ニーチェの「超人」をもじったものだと思われ、ニーチェの自己陶酔の傾向と慢心したネネムを賢治は重ね合わせて見せている。
 この箇所では、賢治はニーチェをからかっていることになるが、もし賢治がニーチェの著作をよく読んだとすれば、からかうだけではすませなくなっただろう。というのは、ニーチェは、理知的な秩序(コスモス)を偏重するヨーロッパの伝統に立ち向かい、自然や人間の心の深部のカオス的な力がもつ創造性を重視しようとした訳だが、賢治にとってもカオス的なものが大きな意味をもっていたからだ。近年の複雑系研究で「カオスの縁(ふち)」いう言葉がキーワードのひとつになっているが、これを借用すれば、ニーチェも賢治も「ぎりぎりのカオスの縁を歩んだ人」だと言うこともできるだろう。そして、晩年のニーチェはカオスの海に飲み込まれてしまった。
 「風の又三郎」の村の子どもたちは、自然の荒々しいカオス的な力と結びついた又三郎に対して、恐れと憧れが入れ混じった複雑な感情をもっている。遠くからやって来て再び遠い所へ去っていった高田三郎と又三郎を重ねあわせることによって、賢治は、村の子どもたちの心をときめかす、こうした微妙な感情を見事に描き出している。(詳しくは「『種山ケ原』、『原体剣舞連』から『風の又三郎』へ」を参照してください。)