イギリス海岸とプリオシン海岸

「イギリス海岸」の物語
 イギリス海岸というのは、北上川の泥岩層の川岸に賢治がつけたあだ名である。賢治は生徒たちをよくそこに連れていった。物語「イギリス海岸」は、その体験をもとにしている。賢治の童話にときどきあるように、農学校の教師が実際に体験した(しそうな)話が途中から空想の世界に入り込むという展開のつもりだったようだが、物語を書いている途中でイギリス海岸で、「第三紀偶蹄(ぐうてい)類の足跡(そくせき)」の化石がみつかるという出来事がおきたため、空想に飛躍せずに、その出来事を書く形になった。そう物語の語り手の「私」が書いている。
北上川の泥岩層の川岸  物語の語り手の農学校の教師は、夏休みの農業実習の合間にしばしば生徒たちを連れて北上川の泥岩層の川岸に遊びに行く。仲間といっしょに川で泳いだり遊んだりして、東北の短い夏を満喫するのを生徒たちは大好きだったろうし、地質学の好きな教師の「私」にとっても、このイギリス海岸は興味のつきない場所だったからだ。
 この泥岩層は、「東の北上山地のへりから、西の中央分水嶺(ぶんすゐれい)の麓(ふもと)まで、一枚の板のやうになってずうっとひろがって居」て、「たゞその大部分がその上に積った洪積の赤砂利やローム、それから沖積の砂や粘土や何かに被はれて見えないだけ」だった。こうした堆積物が河川に侵食された北上川の河岸のような所では、この板のようにひろがった泥岩層の一部が顔を出しているのだ。
 そして、この泥岩層を調べると、牡蛎などの半鹹のところでないと住まない貝の化石が出てくるので、第三紀の終わり頃には北上の平原にあたる所は細長い入海か鹹湖だったことがわかるのだ。だから「そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです」と「私」は言う。この割合浅い水がさらに浅くなり、草や木がしげりその葉や実がつもり、時には火山礫が降ってきて木がおしつぶされた。そんな様子が「私」には泥炭の様子からわかるのだ。
イギリスへの憧れ  それにしても、なぜ「イギリス」海岸なのだろう。「日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、------大きな帽子を冠(かむ)ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白亜(はくあ)の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。」と「私」は語る。そして「誰(たれ)だって夏海岸へ遊びに行きたいと思はない人があるでせうか。殊にも行けたら、-------フランスかイギリスか、さう云ふ遠い所へ行きたいと誰も思ふのです」ともいう。北上川の気持ちのいい水辺に、「私」の遠いイギリスへの憧れが投影されているのだ。
偶蹄類の足跡の発見  この物語の最後の方で、「私」がイギリス海岸に連れていった生徒のひとりが泥岩の上に何かの足痕(あしあと)を見つけたと言って走ってくる。そこに行ってみると「二つづつ蹄(ひづめ)の痕のある大(おほき)さ五寸ばかりの足あと」がたくさんついている。動物が歩いた後に火山灰がふって足あとが保存されたのだ。「私」は翌日、石膏をもってきて型をとろうと思うが、どうせ川の水で侵食されて消えてしまうのだからと考えなおし、足あとを切り取って学校にもっていき標本にすることにする。翌々日、生徒たちと「私」は、鍬や鎌をもっていき、たくさんある足あとを掘り取る作業をする。夏の日差しの中でのこの光景は、「こんどはそこは英国ではなく、イタリヤのポムペイの火山灰の中のやうに思はれ」たという。
くるみの化石  この「イギリス海岸」の話の中には、「ある時私たちは四十近くの半分炭化したくるみの実を拾ひました。それは長さが二寸位、幅が一寸ぐらゐ、非常に細長く尖(とが)った形でした」という部分がある。宮城一男さんによると、賢治にイギリス海岸を案内してもらった地質学者がこの泥炭層でみつかったバタクルミの化石についての論文を書いている。このクルミは現在は日本にはなくなっている種類なのだという。
プリオシン海岸での発掘  「銀河鉄道の夜」では、「白鳥の停車場」で銀河鉄道が停まっている間に、ジョバンニとカムパネルラが列車を降りて「プリオシン海岸」に行き、大学士たちが化石の発掘をしているのを見学する場面が出てくる。このプリオシン海岸でも、カムパネルラがくるみの実のようなものを拾うが、これもイギリス海岸と同様に「黒い細長いさきの尖(とが)ったくるみの実のやうなもの」と書かれている。また、大学士たちが牛の祖先の骨を掘っているまわりには「蹄(ひづめ)の二つある足跡のついた岩が、四角に十ばかり、きれいに切り取られて番号がつけられてありました」と書かれている。「プリオシン海岸」には、明らかにイギリス海岸での体験が投影されている。
子供の水難というテーマ  「イギリス海岸」と「銀河鉄道の夜」のもうひとつのつながりは、子供の水難というテーマだ。「銀河鉄道の夜」では、銀河鉄道に乗っているジョバンニは川でおぼれ死んで、天上にいくところであるし、車中で一緒になる子供たちも北の海で船が沈んで水死している。
「イギリス海岸」では、北上川で泳ぐ子供たちが事故にあわないように見回る係りの人が出てくる。他方、生徒たちを連れてきた教師の「私」はその人の心配も知らず、「実は私はその日までもし溺れる生徒ができたら、こっちはとても助けることもできないし、たゞ飛び込んで行って一緒に溺れてやらう、死ぬことの向ふ側まで一緒について行ってやらうと思ってゐた」というのだ。賢治の考え方の一端が顔を出していると考えていいだろう。


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