異空間の現象の流れと銀河鉄道の乗客

孤独感とコミュニタス的な出会い
 「銀河鉄道の夜」は、地上と違った異空間の旅である。この特異な空間では事物は地上と異なる規則の下にあるようで、天の川の砂が凝(こご)って鷺になったりする。賢治は、この異空間の事物を支配する規則をかなり緻密に描き出している。銀河の異空間は、発光する粒子からなっていて、全体に硬質で青白くきらめき、透き通った流れの空間として描かれている。そして、賢治の作品ではこうしたイメージは、澄みわたるような孤独感と結びつけられてきた。「銀河鉄道の夜」でもジョバンニは、一面では孤独感や淋しさを抱いているが、他方で、「地上に戻ったジョバンニにとっての「銀河鉄道の夜」1〜2」で述べたように、ジョバンニは鳥捕りや溺れた子供 との深い出会いを経験している。つまり「銀河鉄道の夜」のジョバンニには、孤独とともに、コミュニタス的な出会いの体験というもうひとつの極がある。とすると、「銀河鉄道の夜」では、硬質できらめく、透き通った現象と、深い出会いの体験がどういう関係になっているのかを、考えてみることが必要になる。
銀河の水  たとえば「銀河鉄道の夜」の「プリオシン海岸」には、つぎの箇所がある。
カムパネルラは、そのきれいな砂を一つまみ、掌(てのひら)にひろげ、指できしきしさせながら、夢のやうに云ってゐるのでした。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えてゐる。」
「さうだ。」どこでぼくは、そんなこと習ったらうと思ひながら、ジョバンニもぼんやり答へてゐました。
 河原の礫(こいし)は、みんなすきとほって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲(しうきょく)をあらはしたのや、また稜(かど)から霧のやうな青白い光を出す鋼玉やらでした。ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとほってゐたのです。それでもたしかに流れてゐたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたやうに見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるやうに見えたのでもわかりました。

 三次稿の「銀河ステーション」のところに、次のような部分がある。
(あの光る砂利の上には、水が流れてゐるやうだ。)
ジョバンニは、ちょっとさう思ひました。するとすぐ、あのセロのやうな声が答へたのです。
(水が流れてゐる? 水かね、ほんたうに。)
ジョバンニは、一生けん命延びあがって、その天の川の水を、見きはめようとしましたが、どうしてもそれが、はっきりしませんでした。
(どうもぼくには水だかなんだかよくわからない。けれどもたしかにながれてゐる。そしてまるで風と区別されないやうにも見える。あんまりすきとほって、それに軽さうだから。)

 気体と液体の区別がはっきりしないが、光を発しているので流れていることはわかるらしい。

光のエネルギーからできた三角標  銀河鉄道に乗ってジョバンニたちが見る形のあるものは、光のエネルギーが転化したものだと考えられているようだ。三次稿の「銀河ステーション」の最初には、次のような話がでてくる。
 するとちゃうど、それに返事をするやうに、どこか遠くの遠くのもやの中から、セロのやうなごうごうした声がきこえて来ました。
 (ひかりといふものは、ひとつのエネルギーだよ。お菓子や三角標も、みんないろいろに組みあげられたエネルギーが、またいろいろに組みあげられてできてゐる。だから規則さへさうならば、ひかりがお菓子になることもあるのだ。たゞおまへは、いままでそんな規則のとこに居なかっただけだ。ここらはまるで約束がちがふからな。)
 このように、地上の世界とは違った規則によって事物がなりたっているということが明言されている。この異空間では、光のエネルギーをもつ粒子が結びついて形のあるものになるらしい。
 銀河の水も発光する流れであることは確かだが、液体か気体か区別しにくいだけでなく、植物や鳥も光の粒子からできているらしく、青白く発光しているが、なにかおぼろげで、はかない感じだ。
 たとえば、「鳥を捕る人」のところで出てくる鷺は、天の川の砂からできるという。
 「そいつはな、雑作(ざふさ)ない。さぎといふものは、みんな天の川の砂が凝(こご)って、ぼおっとできるもんですからね、そして始終川へ帰りますからね、川原で待ってゐて、鷺(さぎ)がみんな、脚をかういふ風にして下りてくるとこを、そいつが地べたへつくかつかないうちに、ぴたっと押へちまふんです。するともう鷺は、かたまって安心して死んぢまひます。あとはもう、わかり切ってまさあ。押し葉にするだけです。」
 死がおおげさではなく、なんでもないこととして描かれている。燈台守が、北の海で溺れた子供たちにくれた苹果の皮も「床へ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまふ」。苹果の皮が腐敗して分解するのではなく、簡単に気化してしまうらしい。
心象の明滅と孤独感  このように、銀河では、発光する砂のような粒子が結びついて鳥や苹果のような形のある生き物になるが、簡単に固まってチョコレートのようになってしまったり、気化してしまったりして、ぼおっとした様子で、堅固ではない。つまり、事物は硬質な粒子からできているが、サラサラと流れるように流動的である。そして、銀河鉄道の乗客たちにとっては、こうしたさまざまな形の発光する流れの体験がつづく。
 こうした点から見ると「銀河鉄道の夜」の世界は、「春と修羅・序」の冒頭の「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/----/風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/---」に描かれているような「明滅する」流れと同じ特徴をもつといえる。
 そして、「春と修羅」弟1集では、「わたくしといふ現象」は「小岩井農場」の結びに近い部分でつぎのように書かれているような、澄みわたるような孤独感に浸されている。
「もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ」
 では、「銀河鉄道の夜」では、どんな条件が、孤独なジョバンニが鳥捕りや溺れた子供たちとの深いコミュニケーションを経験するという展開を可能にしているのだろうか。その点について考えるには、銀河鉄道は、乗客たちがきらめく現象の流れを「ともに経験する」枠組みとなっていることに注目する必要がある。
漂う苹果の匂いを「ともに経験する」  銀河鉄道は、青白く光るさまざまなものの流れの中を走っていくが、視覚的な描写が多いなかで、それほど多くはない匂いや音の描写が、かえって読者に強い印象を残す。そして、銀河鉄道の乗客にとっては、匂いや音も現象の流れとして感じられる。たとえば、溺れた子供たちが現れる前には、苹果の匂いが漂ってくる。
「何だか苹果(りんご)の匂(にほひ)がする。僕いま苹果のこと考へたためだらうか。」カムパネルラが不思議さうにあたりを見まはしました。
「ほんたうに苹果の匂だよ。それから野茨(のいばら)の匂もする。」ジョバンニもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。
 かすかな匂が漂ってきて、それから子供たちが登場するというとても効果的な場面の転換がなされている。そして、このかすかな匂は「窓からでも入って来るらしい」と書かれていて、銀河鉄道の乗客が「ともに経験する」現象の流れという形で描かれている。
かすかな音楽を「ともに聴く」  溺れた女の子とカムパネルラやジョバンニが話をしはじめて、車窓からコロラド高原のような光景が見える前の場面では、新世界交響曲が聴こえてくるところがあるが、ここでは、音楽がとても効果的だ。
 そしてまったくその振子の音のたえまを遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のやうに流れて来るのでした。「新世界交響曲だわ。」姉がひとりごとのやうにこっちを見ながらそっと云ひました。
 音楽が聴こえてくるという体験も、「旋律が糸のやうに流れて来る」というように、銀河鉄道の乗客が「ともに経験する」現象の流れであることが強調されている。カムパネルラが女の子と楽しそうに話しているのをとり残されたような思いで見ていたジョバンニは、こうして異空間の現象を「ともに経験する」ことを通じて、だんだん北の海で溺れた子供たちとも打ち解けていき、カムパネルラだけでなくこの子供たちとも、どこまでも一緒に行きたいと思うようになる。そして、この子供たちが、家庭教師の青年に連れられて天上に向かうために銀河鉄道から下りようとする場面では、ジョバンニは「天上へなんか行かなくたっていゝじゃないか。」と言って女の子たちを引き留めようとするにいたる。
「ともに経験する」枠組としての銀河鉄道  つまり、「銀河鉄道の夜」では、青白く発光する粒子から形づくられた現象の流れが、「春と修羅・第1集」のような澄みわたるような孤独感と結びつくだけでなく、もうひとつの極として、深い出会いの体験を描き出すことができたのは、こうした現象の流れを「ともに経験する」枠組みをもったからだと考えることができるだろう。銀河鉄道は、発光する粒子からなるサラサラとした流れの中を走っているので、銀河鉄道に乗り合わせた乗客たちは、そうした現象の流れを「ともに経験する」ことになる。こうした枠組みの下ではじめて、ジョバンニと鳥捕りや溺れた子供たちとの深いコミュニケーションを描くことができたのだと思われる。
 このようにして、銀河鉄道は、「無方の空に」散らばり「各別各異に生きている」微塵(個)をたがいに結びつける場所となった。
ちくま文庫「宮沢賢治全集7〜『銀河鉄道の夜』」より
子供から大人への過渡期の文学
作品の多義性、重層性
賢治の作品世界
宮沢賢治の宇宙