気層と修羅

心象の時空の探究
 「春と修羅・序」において、賢治は詩集「春と修羅」は心象スケッチだと告げている。賢治は、心象スケッチという言葉にどんな想いをこめていたのか、はっきりとは説明していない。しかし、詩集「春と修羅」に書かれていることと、関連した事実を重ね合わせていくと、賢治が詩集「春と修羅」で試みたのは、詩的な表現であると同時に、彼が体験する心象(心的現象)の時空の探究であったことがわかってくる(詳しくは、別項へ)。その方法を心象スケッチと呼んだのだろう。詩集「春と修羅」を中心に賢治の心象の時空の探究をいくつかの項目に分けて、たどってみる。

「春と修羅」の垂直的なイメージ  「春と修羅」と題された詩では、賢治の心象の空間の垂直方向のイメージが鮮明に描かれている。

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

「四月の気層のひかりの底」という表現で垂直方向の高さが強調され、その気層の底で「のばらのやぶや腐植の湿地」をうろうろする修羅の鬱屈した想いが鮮明になる。修羅は作者の自己イメージである。
他方、気層の上方には、すがすがしい風が吹いている。修羅のあるく湿地のじめじめした感じと対比をなす。

砕ける雲の眼路(めじ)をかぎり
 れいろうの天の海には
  聖玻璃(せいはり)の風が行き交ひ
   ZYPRESSEN 春のいちれつ
    くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ

ZYPRESSEN(いとすぎ)の列も、やはり垂直方向のイメージを強めている。

「無声慟哭」の修羅  「春と修羅」の時期の約8ケ月後の妹のとし子の死を描いた「無声慟哭」でも、修羅という言葉が用いられる。

わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまへはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
あかるくつめたい精進(しゃうじん)のみちからかなしくつかれてゐて
毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき
おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
ここでは、「くらい野原をただよふ」修羅である賢治と天上に向かおうとする妹との垂直的な対比が明瞭に描き出されている。
ちくま文庫「宮沢賢治全集 1〜『春と修羅』『無声慟哭』」より

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