「春と修羅・第1集」の心象スケッチと「青」

「春と修羅」の「青」
 賢治の言う「心象スケッチ」、つまり「心の現象の観察と記録」が普通の意味での観察と記録とどう違うかを「春と修羅・第1集」の詩に即して探ってみる。
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
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まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
 詩「春と修羅」で、自分の心のうちをおぞましく思い、苛立つ自らの姿を修羅と言う言葉で表している。「四月の気層のひかりの底」というように、高い空とその空気の層の底を這いずりまわる修羅としての自らを対比している。また、苛立つ自分の心を描くのに、「いかりのにがさまた青さ」という表現が使われ、さらに、「まばゆい気圏の海のそこに」の後でも、「(かなしみは青々ふかく)」というように、「青々」という色が再び出てくる。
この青は、苛立ちながら四月の林野を歩いた賢治が、周囲に実際に感じた色なのだと思われる。何か周りの空気がことさらに青みがかっているように見え、そのために「気圏の海のそこ」のように感じたのだろう。
この「青」は「風景観察官」や「印象」でも「心の現象の観察」の主題になっている。

「風景観察官」と「印象」の「青」
あの林は
あんまり緑青を盛り過ぎたのだ
それでも自然ならしかたないが
また多少プウルキインの現象にもよるやうだが
も少しそらから橙黄線を送つてもらふやうにしたら
どうだらう
(「風景観察官」)

ラリツクスの青いのは
木の新鮮と神経の性質と両方からくる 
そのとき展望車の藍いろの紳士は
X型のかけがねのついた帯革をしめ
すきとほつてまつすぐにたち
病気のやうな顔をして
ひかりの山を見てゐたのだ
(「印象」)

「風景観察官」は、画家の目で、風景を構成する色を観察していて、林の「緑青」が強すぎるのを怪訝に思っている。「それでも自然ならしかたないが」と自然からくるデータと「心の現象」との関係に疑いをいだいている様子だ。しかし、「印象」になると、「ラリツクスの青いのは/木の新鮮と神経の性質と両方からくる」というように、「青」が、自然のデータによるだけでなく、「神経の性質」つまり、心の状態の異変による、感覚を解読する枠組みの歪みからくることが断定されている。

このように、「青」という色が「春と修羅・第1集」でどのような意識で観察され記録されているかに注意するだけでもわかるように、「心象スケッチ」における「心の現象の観察と記録」とは、「心の現象」と「外部から受容するデータ」の関係についての問いかけをともなっている点で、普通の意味での「観察と記録」と明かな違いがある。

風景の中に描かれた「わたくし」  また、「風景観察官」、「印象」に共通するのは、風景を観察者の目で見ている人物が景観の中に描かれるという構図になっていることだ。風景観察官や「印象」の帯革をしめた紳士とは賢治自身なのだと思われるが、詩の中の登場人物として外側の視点から風景の中に描き込まれている。
「春と修羅」の場合には、「おれはひとりの修羅」と表現され、一人称の「おれ」と他者である「修羅」が重ねあわせられているが、やはり、「四月の気層のひかりの底」といった大きなスケールの景観の中に「おれ≒修羅」が描きこまれている。
 このように、「風景」が「心の現象」として観察し、記録され、その中に「観察者」あるいは「わたくし」「おれ」が描かれるという構図が、「春と修羅・第1集」ではしばしば現れる。
つぎの「雲とはんのき」は、そうした構図の典型的なもののひとつだ。
わづかにその山稜と雲との間には
あやしい光の微塵にみちた
幻惑の天がのぞき
またそのなかにはかがやきまばゆい積雲の一列が
こころも遠くならんでゐる
これら葬送行進曲の層雲の底
鳥もわたらない清澄(せいとう)な空間を
わたくしはたつたひとり
つぎからつぎと冷たいあやしい幻想を抱きながら
一挺のかなづちを持つて
南の方へ石灰岩のいい層を
さがしに行かなければなりません
(「雲とはんのき」)
 このように、「春と修羅・第1集」の心象スケッチには、さまざまなスタイルがあり、それは心が経験する時間の扱いと密接な関係がある。大きなスケールの景観の中に「観察者」あるいは「わたくし」が描かれるという構図の場合には、個々の時点での「心の現象」の観察と記録が連ねるという形ではなく、そうした自分の姿を遠くから見る視点が加わり、その視点が空間的、時間的枠組みをつくりだしている。
賢治の場合、この外側の視点が何に由来するのかという問題はよくわからないところだが、心象スケッチを詩として訴えるものにするためには、こうした構図が効果を発揮している。
ちくま文庫「宮沢賢治全集 1〜『春と修羅』」より

たがいに浸透しあう「わたくし」と「みんな」

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