幻想に現れる元型的な者たち

元型的な者たちと異空間
 これまでの項で書いたように、「風の偏倚」や「風景とオルゴール」に描かれている半月を雲がよぎる夜には、通常の時空の意識と違った特異な意識状態を賢治はしばしば経験した。そんな時におきる「始源的な時間」感覚や微細な粒子に世界の根源的な因子を感じとる感覚に、認識の包括的な視点への手がかりを賢治は求めた。そうした感覚を手がかりにして、時代とともに転変する認識の枠組みを包み込む包括的な視点を探ろうとした。
 同じようなことが、「小岩井農場」などに描かれているような「幻想」に対する賢治の姿勢についても言える。「小岩井農場」の「幻想」あるいは幻覚は賢治が経験した特異な意識状態のひとつだが、「小岩井農場」では賢治は「幻想」に不安を感じるとともに、「幻想」を通じて現れる「尊い者たち」との出会いに高揚した気分になっている。
 つまり、「幻想」を通じて心の深部から現れる元型的な存在と出逢うことができ、こうした元型的な存在との出会いをもとにして、普通に経験する意識の秩序からは知ることのできない「異空間」についてのイメージを賢治はつくりあげていったのだと思われる。
「小岩井農場」の幻想  「春と修羅・第1集」の中の「小岩井農場」は、1922年5月21日に小岩井農場を歩いた賢治の心象の記録という形をとった作品である。「春と修羅」第1集に収録された形 では、パート五とパート六が空白になっているが、パート九まである長い詩で、小岩井の駅で「わたくし」が汽車を降りたところからはじまり、小岩井農場を歩きながら「わたくし」の感じたことをたどっていく。そういう形の詩 にまとめられている。賢治の言う心象スケッチの代表的な例のひとつと考えていい詩である。
 この詩から伝わってくる「わたくし」の時空は、何か不安定で、奇妙な歪みがつきまとい、つねに不安な感じがある。時空のこうした不安定な感じは、さまざまな形で現れる「わたくし」の幻覚からも起きる。小岩井農場に向かう一本道を歩いていくと、道の前方では先に行った馬車がだんだん小さくなったが、「うしろから五月のいまごろ/黒いながいオーヴアを着た/医者らしいものがやつてくる/たびたびこつちをみてゐるやうだ」と感じる。こうした幻覚は、「それは一本みちを行くときに/ごくありふれたことなのだ」と言う。こうした幻想(幻覚)は賢治に不安を感じさせる。
 しかし、「小岩井農場」では、幻想(幻覚)は両義的であり、不安をもたらすだけでなく、創造的な面をもつ時もある。後者にあたるのは、幻想を通じて心の深層から現れた「尊い」者たちとの出会いである。パート九 に現れる「巨きなまつ白なすあし」のユリアとペムペルの場合がそうだし、パート四でも、「すきとほる」「天の鼓手 緊那羅(きんなら)のこどもら」の一列が「わたくし」の後からやってきて、口笛を吹いたりする高揚した気分になる。
幻想に現れる天の子供ら、ユリアとペムペル  「小岩井農場」で幻想として現れるこの「緊那羅のこどもら」は、「インドラの網」の物語で、空気の希薄なツェラ高原を歩く「私」が、「天の空間」に迷い込んで出会う「天の子供ら」と賢治の心の中では重なり合っている。「インドラの網」では、「天の子供ら」は「私」がタクラマカン砂漠の「コウタン大寺の廃趾から発掘した壁画の中の三人」で「羅(うすもの)」のひだは「ガンダーラ系統」なのだが、「小岩井農場・先駆形A」では、幻想の子供らに、「あなた方はガンダラ風ですね。/タクラマカン砂漠の中の/古い壁画に私はあなたに/似た人を見ました。」と語りかけている。
 このように、「小岩井農場」と「インドラの網」の天の子供らは、賢治の心の中ではほぼ同一のもののようだ。

 また、パート九 では、ユリアとペムペルが幻想を通じて現れる。そして、「ユリア ペムペル わたくしの遠いともだちよ/わたくしはずゐぶんしばらくぶりで/きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た/どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを/白亜系の頁岩の古い海岸にもとめただらう」と呼びかけている。「白亜系の頁岩の古い海岸」に「昔の足あと」を探したと言っているのを見ると、ユリアとペムペルは地質時代の生物であるようだが、「巨きなまつ白なすあし」は賢治の詩や物語では如来の特性であることからすると、如来と結びつく「尊い」者でもあると賢治は感じたのだと思われる。
 「青森挽歌」にも、「巨きなすあしの生物」が現れる。「青森挽歌」は、妹のとし子が亡くなった翌年に夏の妹の影を追い求めるような北への旅の途上、夜の列車での心象を記すという形の詩だ。この詩で、死んだ妹がどこを通って、どんな所に行ったと感じるかを、賢治は詳細に描いている。そして、とし子がのぼっていったと感じる天上の様子の中に「また瓔珞やあやしいうすものをつけ/移らずしかもしづかにゆききする/巨きなすあしの生物たち」という部分がある。この「巨きなすあしの生物たち」のイメージも、「生物」と呼ばれていると同時に、天上の「尊い」者である点で、ユリアとペムペルと共通点をもつ。

つまり、賢治の物語や詩では、幻想を通じて心の深部から現れる「尊い」者たちの元型的なイメージをもとにして、「天の空間」や「ちがった空間」(異空間)を描いていることがわかり、賢治は心の深部から幻想を通じて現れる元型的なイメージが、天上の者たちを思い描くよすがとなると感じていたことがわかる。

幻想をめぐる賢治の葛藤  (幻想を通じて現われる「尊い者」に対する賢治の姿勢は、両義的で「春と修羅」に収録された「小岩井農場」の末尾の部分と、先駆形との間で揺れがあるようだ。先駆 形Aでは、ユリアとペムペルや緊那羅のこどもらが現れるところで「おいおい。幻想にだまされてはいけない。/幻想だと、幻想なら幻想をおれが/感ずるといふことが実在だ。/かまふもんか。」と自問自答して「幻想も実在だ」と自分に言いきかせている。
 他方、「春と修羅」に収録された「小岩井農場」では、幻想から現れた「尊い者」との出会いに高揚した気分になった後で、幻想に対する姿勢が転換して、「もう決定した そつちへ行くな/これらはみんなただしくない/いま疲れてかたちを更へたおまへの信仰から/発散して酸えたひかりの澱だ」という表現が出てくる。そして「さあはつきり眼をあいてたれにも見え/明確に物理学の法則にしたがふ/これらの実在の現象のなかから/あたらしくまつすぐに起て」という具合に今度は誰にも見えることが強調されていて、先駆形Aの「幻想も実在だ」という「実在」についての考えを否定す るように見える言い方になっている。
 つまり、カオス的な心の深部から現れる元型的なものたちにどう対するか、賢治にははげしい葛藤があったのだ。)
ユリア、ペムペルと地質時代  「科学と詩の出会い・2」に書いたように、賢治は心の時空を記録するために、地質学的メタファーを巧みに使っている。賢治の地質学のメタファーのうちで重要なもののひとつは、心の深部にある元型的なものたちが幻想を通じて現れることと古い地層に眠っていた化石や遺物が「発掘」を通じて現れるということを対応させたメタファーだ。
ユリアとペムペルの場合には、この結びつきは、賢治の心においてはメタファーという以上に実質的なものだとも言える。「どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを/白亜系の頁岩の古い海岸にもとめただらう」と呼びかけているように、ユリアとペムペルは、地質時代の生き物であると同時に「巨きなまつ白なすあし」の尊い者であると賢治は感じているからだ。つまり、ユリアとペムペルは心の深部から現れた元型的なイメージだから地質時代に対応させられている訳ではなく、この元型的なイメージそのものが、地質時代の生き物と「異空間」の尊い者の属性をあわせもっているのだ。賢治の心の深部において、地質時代の生き物と尊い者とが結びつけられているということのようだ。

このように、「幻想」を通じて心の深部から現れる元型的なイメージは、賢治にとって、通常の意識状態で認識される時空の秩序とは異なる時空の秩序を思い描く手がかりとなっているのだ思われる。

「発掘」と時空の秩序の劇的な転換  さらに、「雁の童子」の物語で、天のこどもらの壁画の発掘によって、雁の童子と須利耶圭の前世の関係が明らかになるように、賢治にとって「発掘」とは時空の秩序をなす因果の連鎖の劇的な転換を引き起こす出来事だったと考えられる。ユリアとペムペルに「どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを/白亜系の頁岩の古い海岸にもとめただらう」と呼びかけているのも、心の深部から現れる元型的なイメージに、時空の秩序を転換させる手がかりを感じていたことを示しているのだろう。
「春と修羅・序」には、二千年後から現在を掘り起こす「発掘」のイメージが描かれている。
「おそらくこれから二千年もたつたころは/それ相当のちがつた地質学が流用され/相当した証拠もまた次次過去から現出し/みんなは二千年ぐらゐ前には/青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ/新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層/きらびやかな氷窒素のあたりから/すてきな化石を発掘したり/あるいは白亜紀砂岩の層面に/透明な人類の巨大な足跡を/発見するかもしれません」 これも、時空の秩序の劇的な転換の予感を「発掘」というメタファーで語っていると見なすことができる。
ちくま文庫「宮沢賢治全集 1〜『春と修羅』」より

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