心象スケッチと時間

「春と修羅」に記録された<心象の時間>
 「春と修羅・序」の冒頭の「わたくしといふ現象は------」の部分では、「わたくし」と「風景やみんな」が明滅する現象が連なって、時間をこえて保たれるのは「ひかり」だと考えられている。それにつづく段で、この詩集に収録された心象スケッチが書きつがれた「二十二箇月」の時間が振り返られる。
これらは二十二箇月の 過去とかんずる方角から 紙と鉱質インクをつらね (すべてわたくしと明滅し みんなが同時に感ずるもの) ここまでたもちつゞけられた かげとひかりのひとくさりづつ そのとほりの心象スケツチです
「春と修羅」の構成は、「二十二箇月」の心象の時間の記録という形をとっている。つまり、「春と修羅」には、1922年1月6日のから1923年12月10日の日付をもつ詩が収録され、日付の順に並べられている(この日付が何の日付かというのも厄介な問題だが)。そして、冒頭の「序」を書いたことになっているのは1924年1月20日で、この時点から心象スケッチの連なりをみて、ここに<心象の時間>が記録されていると考えている。
遠大な時間の中に置かれた二十二箇月  他方で、「風景やみんな」と「わたくし」が一緒に明滅しながら「たもちつゞけれらた」心象の時間が、この詩集の中に保たれているかどうか、賢治は不安に感じている。彼は、そうした二十二箇月の心象の時間についての不確かさを遠大な時間の中において見せる。
けれどもこれら新生代沖積世の 巨大に明るい時間の集積のなかで 正しくうつされた筈のこれらのことばが わずかその一点にも均しい明暗のうちに   (あるいは修羅の十億年) すでにはやくもその組立や質を変じ しかもわたくしも印刷者も それを変らないとして感ずることは 傾向としてはあり得ます
そして、この心象の時間の記録の不確かさは、遠大な時間を扱う地史の不確かさと同様だと言う。
記録や歴史 あるいは地史といふものも それのいろいろの論料(データ)といつしよに (因果の時空的制約のもとに) われわれがかんじてゐるのに過ぎません
地史でも心象の時間の記録でも、時間の集積を的確に捉えるのは難しい。しかし、「春と修羅」は、心象の時間の記録を試みたことを賢治は伝えたいのだろう。
「銀河鉄道の夜」異稿の地理と歴史の本の「時間」  この部分の「記録や歴史 あるいは地史といふものも/それのいろいろの論料(データ)といつしよに/----------/われわれがかんじてゐるものに過ぎません」という捉え方は、「銀河鉄道の夜」の第三次稿の中で黒い大きな帽子の大人がジョバンニに地理と歴史の辞典を見せる所にひきつがれる。この辞典のある1ページには、ある時代の人が考えた地理と歴史の見方が書かれている。だからこの辞書のページをめくっていくと、時代とともに地理と歴史の見方が大きく変化することがわかる。そしてこの大人は「ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だって汽車だって歴史だってたゞさう感じてゐるのなんだから」とジョバンニに言う。その後で「だからおまへの実験はこのきれぎれの考のはじめから終りすべてにわたるやうでなければいけない。それがむづかしいことなのだ。」という言い方が出てくる。ここでも、巨大な心象の時間の集積の中での保たれる「ひかり」をどうしたら捉えられるかが問いかけられているのだろう。
ちくま文庫「宮沢賢治全集 1〜『春と修羅・序』『銀河鉄道の夜 第三次稿』」より

地質学の太古と元型的な生き物のイメージ


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