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〜目次

(57)「農民芸術概論綱要」より
世界全体が幸せにならないうちは個人の幸せはありえない

(56)「気のいい火山弾」より
私の行くところは、ここのように明るく楽しいところではありません。けれども、私共は、みんな自分でできることをしなければなりません。さよなら。みなさん。

(55)「雨ニモマケズ」より
ホメラレモセズ、クニラレモセズ、ソウイウモノニワタシハナリタイ

(54)「生徒諸君に寄せる(断章七)」より
新たな詩人よ。嵐から、雲から、光から、新たな透明なエネルギーを得て人と地球に取るべき形を暗示せよ。
・・・・・

(53)「眼にていう」より
だめでしょう
とまりませんな
がぶがぶ湧いているですからな
・・・・・

(52)「雨ニモマケズ」より
西に疲れた母あれば行ってその稲のをおい

(51)「春と修羅・小岩井農場 パート九」より
もうけしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる・・・

(50)「農民芸術概論綱要」より
皆が幸せにならない限りは(世界が全体幸福にならないうちは)個人の幸福はありえない。

(49)「注文の多い料理店」序文より
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

(48)「春と修羅・序」より
私という現象は有機交流電灯のひとつの青い照明です

(47)「猫の事務所」より
どんなにつらくてもぼくはやめないぞ,きっとこらえるぞ

(46)詩「青森挽歌」より
すべてあるがごとくにあり かがやくごとくにかがやくもの

(45)詩「眼にて云う」より
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです・・・

(44)「サキノハカといふ黒い花といっしょに」より
酒を呑みたいために尤らしい波瀾を起すやつも
じぶんだけで面白いことをしつくして
人生が砂っ原だなんていふにせ教師も
いつでもきょろきょろひとと自分とくらべるやつらも ・・・・

(43)「とっこべとら子」より
豪儀じゃ、豪儀じゃ、そちは左程になけれども、そちの身に添う慾心が実に大力ぢゃ。

(42)「農民芸術概論綱要」より
世界(が)全体幸福にならないうちは、自分の幸福はありえない

(41)「雨ニモマケズ」より
雨にもまけず

(40)「雨ニモマケズ」より
雨にも負けず風にも負けず一日玄米・・・

(39)「雨ニモマケズ」より
雨にも負けず風にも負けず・・・・・

(38)「なめとこ山の熊」より
なめとこ山の熊を読んで賢治の言葉とも思える、あらもの屋の主人のことを、こんな人は大嫌いだと確か書いてありました。
編集部 注)けれども日本では狐けんといふものもあって狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまってゐる。ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。・・・

(37)弟の清六さんに送った葉書より
「我々は、楽しく、正しく進もうではありませんか。苦痛を享楽できる人は、本当の詩人です。もし風や光の中に自分を忘れ、世界が自分の庭になり、・・・」

(36)「雨ニモマケズ」より
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイ」

(35)「注文の多い料理店」より
「注文の多い料理店」

(34)「やまなし」より
「かぷかぷと笑いました」

(33)「永訣の朝」より
「おまへがたべるこのふたわんのゆきに わたくしはいまこころからいのる どうかこれが天上のアイスクリームになって おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」

(32)春と修羅4「生徒諸君に寄せる」より
「諸君よ 紺色の地平線が膨らみ高まるときに 諸君はその中に没することを欲するか・・・」

(31)「あすこの田はねえ」より
「・・・雲からも風からも 透明な力が そのこどもにうつれ・・・」

(30)「雨ニモマケズ」より
「ホメラレモセズ クニモサレズ ソウユウモノニ ワタシハナリタイ」

(29)詩集『春と修羅』の「青森挽歌」より
「全てあるがごとくにあり、輝くごとくに輝くもの おまえの武器やあらゆるものはおまえに暗くおそろしく まことは楽しく明るいのだ」

(28)「銀河鉄道の夜」より、カムパネルラの言葉
「けれども誰だってほんたうにいいことをしたらいちばん幸せなんだね。」

(27)詩集『春と修羅』の中の『無声慟哭』、最期の4行
『わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは/わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ/ああそんなに/かなしく眼をそらしてはいけない』

(26)「農民芸術概論綱要」結論
われらに要るものは銀河を包む透明な意志 大きな力と熱である

(25)Ginga tetsudou no yoru
Sekai ga zentai saiwai ni naranai uchi wa kojin no saiwai wa ari e nai.

(24)『手紙 四』
チュンセはポーセをたづねることはむだだ。なぜならどんなこどもでも、また、はたけではたらいてゐるひとでも、・・・

(23)「農民芸術概論綱要」
世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はありえない

(22)「春と修羅」序
わたくしという現象は仮定された有機交流電燈の一つの青い照明です

(21)春と修羅 第三集「あすこの田はねえ」
雲からも風からも 透明な力が その子供にうつれ

(20)「グスコーブドリの伝記」
私のようなものはこれから沢山できます。私よりもっともっと何でもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく仕事をしたり笑ったりして行くのですから

(19)「銀河鉄道の夜」
ほんとうの神様

(17)「農民芸術概論綱要」
世界が全体幸福なならないうちは、個人の幸福はありえない

(16)「銀河鉄道の夜」
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。……」 「うん。僕だってそうだ。」

(15)春と修羅第二集 「告別」(作品第三八四番)
ひとさへひとにとどまらぬ

(14)「雨ニモマケズ」
南ニ死ニソウナ人アラバ行ッテコワガラナクテモイヽトイヒ

(13)「小岩井農場 パート九」
わたくしははつきり眼をあいてゐるのだ ユリア ペムペル 私の遠いともだちよ

(12)「春と修羅 詩稿補遺 [まあこのそらの雲の量と]」
清貧と豪奢とは両立せず いい芸術と恋の勝利は一緒に来ない

(11)「雨ニモマケズ」
イチニチニ 玄米4合ト 味噌トスコシの野菜ヲタベ

(10)「青森挽歌」
感ずることのあまり新鮮にすぎるとき それをがいねん化することは きちがいにならないための 生物体の一つの自衛作用だけれども

(9)「永訣の朝」
あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ     (うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる)・・・

(8)「十力の金剛石」
「宝石の雨はあらゆる小さな虹をあげました。金剛石がはげしくぶっつかり合っては青い燐光を起しました。・・・

(7)「種山ヶ原」
「達二は、仰向けになって空を見ました。空がまっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠色の雲が、速く速く走ってゐます。・・・

(6)「屈折率」
「七つの森のこつちのひとつが  水の中よりもつと明るく  そしてたいへん巨きいのに  わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ  このでこぼこの雪をふみ・・・

(5)「虔十公園林」
「ああさうさう、ありました、ありました。その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。・・・

(4) 「銀河鉄道の夜」
「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人達のしたことでも涙がこぼれるだらう。」

(3)「 洞熊学校を卒業した三人」
狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、「なまねこ、なまねこ、世の中のことはな、みんな山猫さまのおぼしめしのとほりぢゃ。・・・

(2)「 銀河鉄道の夜」
「僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」

(1)「土神ときつね」
「おれはいやしくも神ぢゃないか、一本の樺の木がおれに何のあたひがあると毎日毎日土神は繰り返して自分で自分に教へました。・・・



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(57)世界全体が幸せにならないうちは個人の幸せはない
(「農民芸術概論綱要」より)
イーハトブを岩手で夢見た賢治と王道楽土を満州で夢見た石原ガンジが同じ国柱会と知って驚きました。日蓮、ヤハウェ、キリスト、マホメッドに何か共通点を感じます。 (いまい)

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(56)私の行くところは、ここのように明るく楽しいところではありません。けれども、私共は、みんな自分でできることをしなければなりません。さよなら。みなさん。
(「気のいい火山弾」より)
わたしはどこに行き、なにをしなければならないのだろう。
この言葉を読むたびに考えます。 (K)

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(55)ホメラレモセズ、クニラレモセズ、ソウイウモノニワタシハナリタイ
(「雨ニモマケズ」より)
私は、その言葉を小学校で習いました。そして、パソコンや先生からいろいろ聞きました。宮沢賢治は、この世に2、3人ぐらいしかいないほどの天才だと。それは、そのとおりだと私は思いました。宮沢賢治は、ただふつうにいたいって言うのは本当にすごいと思いました。だって、絶対に1人に一つ以上欲望はあるから。だから、私は宮沢賢治を尊敬しています。 (宮川愛華)

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(54)新たな詩人よ。嵐から、雲から、光から、新たな透明なエネルギーを得て人と地球に取るべき形を暗示せよ。新たな時代のマルクスよ。これらの盲目な衝動から動く世界を、素晴らしく美しい構成に変へよ。諸君はこの颯爽たる諸君の未来圏から吹いてくる、透明な、清潔な風を感じないのか。
(「生徒諸君に寄せる(断章七)」より)
自分の未来に自信が持てました。この詩に出逢えてよかった。 (ソロモン)

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(53)だめでしょう
とまりませんな
がぶがぶ湧いているですからな
ゆうべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうもまもなく死にそうです
けれどもなんといい風でしょう
(「眼にていう」より)
「雨ニモマケズ」が書いてあった手帳に乗せられていた多くの詩の中のひとつです。死がまじかであるはずなのに、この詩には死への恐怖が微塵もない、素晴らしい作品です。 (kodama)

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(52)西に疲れた母あれば行ってその稲のをおい(「雨ニモマケズ」より)
賢治さんの優しさが伝わって感動したからです。
音読の時先生から配られたプリントが雨にも負けずでした。(賢治好き)

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(51)もうけしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ (「春と修羅・小岩井農場 パート九」より)
この小岩井農場の話はよく分からなかったけれど,雰囲気が好きです。 宮沢賢治の言葉は一つ一つ綺麗ですね。この言葉は読む度に切なくなります。でも私は賢治がどうしてさびしかったのか感じとることができませんでした。小岩井農場は何度も何度も読み直したい作品です。(カシ)

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(50)皆が幸せにならない限りは(世界が全体幸福にならないうちは)個人の幸福はありえない。(「農民芸術概論綱要」より)
祖父から頂戴した「銀河鉄道の夜」の絵本の最後に書いてあったものです。賢治氏は自分だけではなく、世界中の人々の幸福も願っていたのですね。(剣舞)

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(49)わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。(「注文の多い料理店」序文より)
毎日毎日、物凄い現実の中で時々思い出しては心の浄化をしています。賢治先生の純粋さが良くわかる一文だと思います。(ミヤモト)
ミヤモトさんへの感想
私もこの一文が大好きです。目をつむると、私にも宮沢賢治の見た風景が見えるようです。 (優)
わたしもこの一文が大好きです♪  とても綺麗な文ですよね (雛)
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(48)私という現象は有機交流電灯のひとつの青い照明です(「春と修羅・序」より)
青い照明を当てたとき、どんな光景がみえるでしょうか?そこはポジとネガ、白と黒の世界が広がっています。生命体と非生命体の区別はありません。賢二はまさに生きとし生けるもの、森羅万象に光をあてたかったのではないでしょうか?賢二の文章には様々な動植物のみならず星や石、水、風が生き生きと描かれています。その根底には仏陀から始まった東洋思想(すべてを受けいれ、理解し同化する)が流れていると考えます。(いまい)

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(47)どんなにつらくてもぼくはやめないぞ,きっとこらえるぞ(「猫の事務所」より)
秋の読書会で初めて読みました。いじめられていた、かま猫が事務所にはいれたことを誇りに思い、いじめに耐え、頑張っていくお話です。
かま猫の努力・優しさ・強さに感動しました。(羽月 翼)

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(46)すべてあるがごとくにあり かがやくごとくにかがやくもの(詩「青森挽歌」より)
賢治さんが妹トシの死を乗り越え、たどり着いた「みんなむかしからのきょうだいなのだから/けっしてひとりをいのってはいけない」という決心に至る直前にある言葉。
この言葉に出会った頃はすごく落ち込んでいたときだったので、とても胸に響きました。そして自分の存在そのものを素直に受け入れることが大事なんだと感じました。 また、すべての生命あるものが、あるがままにかがやける世界をつくっていけたら…とも思いました。(ぺい)

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(45)ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな(詩「眼にて云う」より)
(怪我をして?)血がたくさん出て瀕死の状態なのに、風や青空を感じて 死を全く恐れていないか、もしくは受け入れている様子がなんとも言えず、 悲しいけどすごく透明で澄んだ気持ちになりました。 壮絶で凄惨な光景のはずなのになぜか綺麗で・・・。
この詩を読むたびにトルコ石の盤のような、夜明け前のどこまでも透 き通った光る空と、明け方特有のちょっとひやっとした風が頭に浮かん できます。
私もこんな風に死ぬ時は自然と一体になって死ねたらいいなぁと思います。(宮古)

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(44)酒を呑みたいために尤らしい波瀾を起すやつも
じぶんだけで面白いことをしつくして
人生が砂っ原だなんていふにせ教師も
いつでもきょろきょろひとと自分とくらべるやつらも
そいつらみんなをびしゃびしゃに叩きつけて
その中から卑怯な鬼どもを追ひ払へ(「サキノハカといふ黒い花といっしょに」より)
マンガ「プラネテス」で出会った詩です。
この詩を読むたびに、自分はつぶされる側なのか?つぶす側なのか?
と自問します。
まだ、その答えがわかりません。(やまもとしゅうじ)

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(43)豪儀じゃ、豪儀じゃ、そちは左程になけれども、そちの身に添う慾心が実に大力ぢゃ。(「とっこべとら子」より)
ひょっとするとこれは何かからの引用なのかもしれないが、私は作者のこの力強さが嬉しい。宮沢賢治は強い男であったのだ。(N.K)

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(42)世界(が)全体幸福にならないうちは、自分の幸福はありえない (「農民芸術概論綱要」より)
自分だけではなく、世界の人のことを、賢治は思っていると思う。(賢子)

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(41)雨にも負けず風にも負けず (「雨ニモマケズ」より)
自分も負けずに前を向いていけるからです(あとむ)

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(40)雨にも負けず風にも負けず一日玄米・・・ (「雨ニモマケズ」より)
勉強やつらい時この詩を思うと我慢できる(trk)

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(39)雨にも負けず風にも負けず・・・・・ (「雨ニモマケズ」より)
三島由紀夫をこえる価値観を示せるのは宮沢賢治である、と言う評論に影響され、我が子に「健司」と名ずけました。(川嶋 徹)

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(38)なめとこ山の熊を読んで賢治の言葉とも思える、あらもの屋の主人のことを、こんな人は大嫌いだと確か書いてありました。
編集部 注)けれども日本では狐けんといふものもあって狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまってゐる。ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にゐるからなかなか熊に食はれない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなって行く。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないやうないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさはってたまらない。 (「なめとこ山の熊」より)
生活の為に仕方なく熊を殺し、一生懸命働いてもまずしい人達が本当にあわれに思えました。皆が一生懸命働いたら、豊かに暮らせる世の中をつくりたいと感じました。(リラ)

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(37)我々は、楽しく、正しく進もうではありませんか。苦痛を享楽できる人は、本当の詩人です。もし風や光の中に自分を忘れ、世界が自分の庭になり、或いは惚として銀河系全体を一人の自分だと感じるときは、楽しいことではありませんか。 (弟の清六さんに送った葉書より)
賢治が花巻農学校勤務時代に、弟の清六さんに送った葉書の文章の一部です。単なる「正しく」でもなく、単なる「楽しく」でもなく、その両方を併記したところに、賢治の姿勢の素晴らしさを見ます。このバランスのどちらかが均衡を失ったときに、歴史は必ずそれぞれの仕方で危険になると思います。(抑圧的、専制的になるか、或いは方向性を見失って自堕落に陥って行くか)宇宙と自己が一体化したと感じるときの幸福感、それが正しさと楽しさの一致した境地なのかも知れません。それにしても、美しくも意味深いこうした文章を単なる葉書の文章にさらりと書いてしまう賢治は、文字通り「本当の詩人」だと思わずにいれません。(風間三郎)

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(36)「雨ニモマケズ
 風ニモマケズ
 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
 丈夫ナカラダヲモチ
 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラツテイ」(「雨ニモマケズ」より)
これは、全部が好きなんですが、特にこの部分が。 なにか、辛かったらり負けそうになったりしたとき、これを見て自分を元気付けて頑張ってます。(redman)

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(35)「注文の多い料理店」(「注文の多い料理店」より)
感動した(クルクル人形)

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(34)「かぷかぷと笑いました」(「やまなし」より)
国語の授業で、やまなしを勉強して、、、。(宮沢)

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(33)「おまへがたべるこのふたわんのゆきに わたくしはいまこころからいのる どうかこれが天上のアイスクリームになって おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」(「永訣の朝」より)
三月の雪の降る中、祖母が近くの川で遺体で見つかりました。あわただしい葬儀の中、私が弔事を読んだのですが、どんな言葉で飾っても全部が嘘のような気がして、後悔だけが残りました。この「永訣の朝」を知ったのはそれから一ヶ月が過ぎてからでした。声に出して何度も読み、賢治が妹の死を激しく書き連ねた様子を想像し、ああ私の言葉はなんて上っ面だけのものだったろうと思い、その日は本当に心から祖母の死を思い泣きました。もっと早くこの詩を知っていたなら、私はこの詩を弔辞に読んでいたと思います。これからつらくても苦しくても、祖母の死だけは忘れず未熟な自分を変えていきたいと思いました。前にこの詩を載せていた方がおられましたが、どうしても自分でこの詩を載せたくて、敢えて書かせて頂きました。すみません。(カクタス)

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(32)「諸君よ 紺色の地平線が膨らみ高まるときに 諸君はその中に没することを欲するか じつに諸君はその地平線に於ける あらゆる形の山岳でなければならぬ」(春と修羅4「生徒諸君に寄せる」より)
今から約10年前、学生時代にこの詩と初めて出会った。将来の方向性が定まらず、曖昧模糊としていた自分にとって、賢治の「この颯爽たる未来圏から吹いて来る透明な清潔な風を感じないのか」という力強い語りかけに、ある種の衝撃を受けた。それ以来、この詩は、私にとっての「人生の応援歌」となった。
私は山が好きだし、実際山にもよく登りに行く。立派な山の姿を眼にするとき、「山のように生きていけたら」と思うことがある。
賢治は、そんな私に、今でも励ましのエールを送り続けてくれている。(Nagai)

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(31)「・・・雲からも風からも 透明な力が そのこどもにうつれ・・・」(「あすこの田はねえ」より)
小学校の担任がこの詩をつぶやいた時、私の中の森や山や川が目覚めました。
今尚一層、あの瞬間は鮮明に思い出されます。(知子)

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(30)「ホメラレモセズ クニモサレズ ソウユウモノニ ワタシハナリタイ」(「雨ニモマケズ」より)
始めまして。私は小学校六年生です。 今、国語の授業で宮沢賢治の勉強をやってまいます。 雨ニモナケズは、この間覚えたばかりです。 上の言葉は、私にとって一番印象に残った言葉であり、一番好きな言葉です。 やはり、雨にもまけずは、学校でおぼえさせられました。(竜)

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(29)「全てあるがごとくにあり/輝くごとくに輝くもの/おまえの武器やあらゆるものは/おまえに暗くおそろしく/まことは楽しく明るいのだ」(詩集『春と修羅』の「青森挽歌」より)
わたしたち人間は言葉をつかって考える。ことばを使わずに考えることもできるが、それを表現したりさらに深く考えるには言葉を使わざるを得ない頭の構造になっている。それはあらゆるものごとや現象をことばというフィルターを通して見ていることに他ならない。新鮮にただ単に感じることの難しさを教えてくれた。(全認即全疑)

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(28)「けれども誰だってほんたうにいいことをしたらいちばん幸せなんだね。」(「銀河鉄道の夜」より、カムパネルラの言葉)
‘ほんたうにいいこと’が何なのか、今でも全く判りません。この言葉に気付いた時、自分が今まで行ってきた事について、思いをめぐらせてしまいました。これから生きていく間に、この言葉に恥じないような行動をしたいと思ってきました。今もそれが出来ているかどうか判りません。‘いちばん幸せ’な‘ほんたうにいいこと’。すぐ傍にありそうで、本当に難しいことだと思います。こういう文章が書けることを本当に尊敬してしまいます。(布山)
布山さんへの感想
本当に そうだと思います。でも、いいことを探すのはたいへんだとおもいます。 (中学2年生(現在))

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(27)『わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは/わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ/ああそんなに/かなしく眼をそらしてはいけない』(詩集『春と修羅』の中の「無声慟哭」、最期の4行)
妹トシ子の死に直面して詠んだこの『無声慟哭』の詩には、詩集の題名である『春と修羅』に繋がるものがあると私は考えます。というのは、人の心の中には、『春』のように「生を営む時、あるいは生を営むエネルギー」のもの、いわば「正」の力に対して、『修羅』のような「奪命、戦争、闘争心、弱者に対する優越心」という「負」の力をも持っている。いや、少なくとも賢治自身がそう自己分析していたと、私は考えます。ですから、賢治自身が己の『ふたつこころ』をみつめて『かなしそうな眼をしている』というところは、日常私自身が葛藤を繰り返し、あくせくしている己に振り回されてしまうことに思い至り、ジィンとくるのです。最後の2行『ああそんなに/かなにしく眼をそらしてはいけない』とは、いったい誰のことなのか。賢治自身ともとれますが、私個人としては「トシ子」だと思うのです。皆さんのお考えを聞きたいと思います。(羅青)

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(26)われらに要るものは銀河を包む透明な意志 大きな力と熱である(「農民芸術概論綱要」結論より)
5年ほど前、賢治先生の思想・エネルギーがちりばめられた「農民芸術概論綱要」を読んでから、この言葉の虜になりました。元気がほしい時や小さなことでクヨクヨとしそうな時、この言葉を声にするだけで力づけられます。気高く、透明で雄大な言葉だと思います。(omnin)

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(25)Sekai ga zentai saiwai ni naranai uchi wa kojin no saiwai wa ari e nai. (「Ging tetsudou no yoru」より)
kono hanashii o yumu to iu mokuteki wa, nihongo o wasurenai tame nan desu. Canada jin de, kono rippa na bungakushya no kotaba ni totemo ki ni iretan desu. Mijikakte sekkyokuteki na kandousaseru kotoba de yomeba yomuhodo sono eikyou ga fuete kuru. "If everybody like just one candle, what a bright world this would be" (Mike Dalley)
Mike Dalleyさんへの感想
こうして外国の人も宮沢さんの本を読んで感動されたというのを見て、本当によかったなあと思いました。これからも読み続けてほしいです。 (ミー子)

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(24)チュンセはポーセをたづねることはむだだ。なぜならどんなこどもでも、また、はたけではたらいてゐるひとでも、汽車の中で苹果をたべてゐるひとでも、また歌ふ鳥や歌はない鳥、青や黒のあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、みんな、むかしからのおたがひのきやうだいなのだから。チュンセがもしもポーセをほんたうにかあいさうにおもふなら大きな勇気を出してすべてのいきもののほんたうの幸福をさがさなければいれない。それはナムサダルマプンダリカサスートラといふものである。チュンセがもし勇気のあるほんたうの男の子ならなぜまつしぐらにそれに向かって 進まないか 。(『手紙 四』より)
どうしても受け入れたくない死、しかし現実に起きてしまった死に対して 賢治が見つけた答えだと思う。  この言葉には賢治の生命観が、最もよくあらわれていると思う。 私も賢治と同じ境遇に立たされたとき、この一言(一文?)に救われた。  多くの作品で賢治は死について語っているが、この文章が最もわかりやすく 心に響く言葉だった。(軽緑色)

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(23)世界が全体に幸福にならないうちは個人の幸福はありえない(「農民芸術概論綱要」より)
キヨウカシヨデミテカンドウシタ(ヤマモト)
ヤマモトさんへの感想
私もこの言葉が大好きです。 (かぐら)
この言葉に、解説はいらないです。 そのまんまを・・大切にしたいです。 (ようこ)

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(22)わたくしという現象は仮定された有機交流電燈の一つの青い照明です(「春と修羅」序より)
ませた小学生だった私はいっぺんでこの詩が好きになった。意味なんて当然分からなかったが、響きの美しさにすっかり参ってしまった。(生徒1)
生徒1さんへの感想
わたしもこの言葉が好きです。賢治の作品を教科書以外で読んだのは高校生の時。この言葉を聞いた時、一瞬考えてその意味が分かったような気がしたのですが、今はもう思い出せないのが残念です。そのときに心に広がった宇宙、魂、そして自分の存在を「現象」と言い切った賢治の強く繊細な心にひかれて、今のわたしがいます。 (千華)
この1行目、なんだか判らないまま惹かれて、 今もずーっと反芻しています。(カワミ)

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(21)雲からも風からも 透明な力が その子供にうつれ(春と修羅 第三集「あすこの田はねえ」より)
賢治さんの詩の中で、一番すきな詩です。 賢治さんが田んぼのあぜにいて、子供に教えている。 その眼差しは限りなくやさしくて・・・  賢治さんが生きていた頃にタイムスリップしたような気になってしまいます。 賢治さんの祈りは、今もイーハトブの大地の中に生きづいています。 わたしは、そう信じています。(熊川 よしこ)

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(20)私のようなものはこれから沢山できます。私よりもっともっと何でもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく仕事をしたり笑ったりして行くのですから(「グスコーブドリの伝記」より)
この言葉は初めに「グスコーブドリの伝記」を読んで涙を流しながら読んだ部分です。 ブドリは自己犠牲的な「愛」を当然のように実行した事がとても心を打たれました。 タチナ火山の住民に殴られて入院してもかれらに対して憤りのかけらさえみせなかった、そんなブドリが僕は大好きです。(jun)
junさんへの感想
私がはじめて読んだ賢治作品が、この、グスコーブドリの伝記です。 二度と、自分や妹のようなかわいそうな子供達ができないようにと いう願いをこめて、皆のために自分を犠牲にすることをなんと静かに しかも、力強く描いていることでしょう。 私の人生訓となっています。 (たかちゃん)

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(19)ほんとうの神様(「銀河鉄道の夜」より)
また、「銀河鉄道の夜」を読んでしまった。 いいね! 他の童話もほとんど読んだけど、やっぱり「銀河鉄道の夜」はいい!! もう10回くらい読んでるかもしれない。 最終稿(第四次稿)にブルカニロ博士はでてこないけど、 ほんとうの神様とか ほんとうのさいわいとか ブルカニロ博士の歴史観とか 考えても答えの出ない、大きく重要な問題で感心させられる。 たまに思う、どんだけたくさんの事を知ったら、宮沢賢治に追いつけるだろうって。(ブルカニロ博士)

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(17)世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない(「農民芸術概論綱要」より)
この言葉の意味は、自分よりもまず他者が幸福にならなければ本当の幸せはないとズバリ私たちに教えてくれている。(ラルネ)

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(16)「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。……」 「うん。僕だってそうだ。」(「銀河鉄道の夜」より)
この作品はアニメ化されていますが、そちらから引用させていただきました。微妙にニュアンスが異なるような気がしますが、私はこの引用文のほうが好きです。 最近彼と別れたのですが、その時に思い出しました。「どこまでも一緒に行こう」「僕だってそう思っている」と真に思える相手を見つけることは、そう容易ではないと思います。男女の間でなくとも、たとえばバンド仲間とか演劇仲間でもそういった相手は必要です。 けれど、そうして思いあっていても、ジョバンニとカムパネルラは別れ別れになってしまいます。淋しい気持ちになります。(高遠久記)

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(15)ひとさへひとにとどまらぬ(春と修羅第二集 「告別」(作品第三八四番)より)
告別という詩自体が好きなのですが、常にこの言葉に出会うたびにハッとさせられてしまう、私にとってある意味で怖い言葉です。 自分に対して、本当の自分を生きているのか、と問い掛けてくるようで。 だから、好きなのかもしれません。(TOSHI)

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(14)南ニ死ニソウナ人アラバ行ッテコワガラナクテモイヽトイヒ(「雨ニモマケズ」より)
仕事がら死をむかえようとしている人と接することが多いです。 痛みや、肉体的苦痛を取ることは何とか可能ですが、恐怖を取り除く事はなかなか出来ません。 賢治ならどんな言葉でどんな風にそのような人と接するのだろうと考えることがあります。(心太)

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(13)・・・わたくしははつきり眼をあいてゐるのだ ユリア ペムペル 私の遠いともだちよ わたくしはずゐぶんしばらくぶりで きみたちの大きなまつ白なすあしを見た どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを 白亜系の頁岩の古い海岸にもとめただらう・・・省略・・・きみたちとけふあふことができたので わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから 血みどろになつて遁げなくてもいいのです・・・(「小岩井農場 パート九」より)
私が宮沢賢治の詩に出会ったのは中学二年か三年の時。それまで賢治は詩人と言うより童話作家としてとらえていましたが、それ以来、完全に賢治の世界にはまりました。リズムがよいと思われるのは「春と修羅」、スタンスが好きなのは有名な「わたくしといふ現象は」で始まる「序」ですが、通俗的に言ってしまって、きらめく春のなかを陰鬱な修羅を持って歩き、その中で出会う心象に救いを求める、といった賢治の詩の一面をよく表しているなと思うのがこの一節だと考えます。それとすみません、あらかじめ謝っておきますが、省略している部分があるのはそこがあまりにも心情をストレートに表しすぎていると思ったからで、独断的なものです。(UNTIRU)

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(12) 清貧と豪奢とは両立せず いい芸術と恋の勝利は一緒に来ない 労働運動の首領にもなりたし あのお嬢さんとも 行末永くつき合いたい そいつはとてもできないぜ(春と修羅 詩稿補遺 [まあこのそらの雲の量と])
昭和三十年代日本映画のようなセリフにあぜんとしてしまった。[お嬢さん]に岩手弁で「そいつはとても〜」と言ったのだろうか。(野口)

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(11) イチニチニ 玄米4合ト 味噌トスコシの野菜ヲタベ (「雨ニモマケズ」より)
ダイエットをしていた時にいつも思い出していた。(桑野)
桑野さんへの感想
●・・・・どうでもいいような話ですけど・・・・ 「イチニチニ 玄米4合」はさすがに食べ過ぎじゃないですか?おかずが貧弱なだけによけいに気になります。 (ふゆねこ)

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(10) 感ずることのあまり新鮮にすぎるとき それをがいねん化することは きちがいにならないための 生物体の一つの自衛作用だけれども(宮沢賢治詩集・角川文庫・「青森挽歌」の一節)
自分が精神的につらいときに読んでいたので、特に強く感じました。というのは、私もつらいことがあると、よく文字という形に概念化していたからです。日記を書いたり、友達に間接的な表現にしてメールにしたりという具合に。多分、賢治も感じることが強すぎて胸が爆発してしまいそうな状態のままに作品を綴っていったような気がします。(加瀬川 和夫)

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(9) (省略)
  あんなおそろしいみだれたそらから
  このうつくしい雪がきたのだ
      (うまれでくるたて
       こんどはこたにわりやのごとばかりで
       くるしまなあよにうまれてくる)
  おまえがたべへがたべるこのふたわんのゆきに
  わたくしはいまこころからいのる
  どうかこれが天上のアイスクリームになって
  おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ     (第一学習社・国語二・詩より)
私が”永訣の朝”を初めて読んだのは、1年前の高校2年生のときでした。たまたま国語の教材で”永訣の朝”を学習していました。その中の賢治の言葉があまりにも美しくて私はもうすっかり賢治にはまってしまいました。今でも私の賢治の根本になる言葉として、胸の中にあります。(ひとみ)

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(8) 宝石の雨はあらゆる小さな虹をあげました。金剛石がはげしくぶっつかり合っては青い燐光を起しました。・・・りんだうの花は刻まれた天河石と、打ちくだかれた天河石で組み上がり、その葉はなめらかな硅孔雀石で出来てゐました。黄色な草穂はかゞやく猫睛石、いちめんのうめばちさうの花びらはかすかな虹を含む乳色の蛋白石、たうやくの葉は碧玉、そのつぼみは紫水晶の美しいさきを持っていました。・・・(「十力の金剛石」ちくま文庫「宮沢賢治全集」5 p.180)
なんてゴージャスな情景でしょう。どんなにバイトが辛くても、これが私のビタミン剤です。ツァラ高原よりも銀河高原よりも、私はこの森が好き。でも、みんなが本当に待ち望んでいたスーパーミラクルダイヤモンドは、清らかな水だったようなのです。地球をつつみあらゆる命の流れをつないで輝かせる魔法。そうゆうふうに考えると、なんだか心が空へひらかれるようで、きもちがいいのです。 天河石(アマゾンストン)硅孔雀石(クリソコラ)猫睛石(キャッツアイ)蛋白石(たんぱくせき)碧玉(へきぎょく)紫水晶(アメシスト)(もとえ とも)

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(7) 「達二は、仰向けになって空を見ました。空がまっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠色の雲が、速く速く走ってゐます。そしてカンカン鳴ってゐます。」(「種山ヶ原」 ちくま文庫「宮沢賢治全集」5)
まるで、白昼夢だ。
 よく見知った街にある、見知らぬ曲がり角...  その先に足を踏み入れると、ふいに自分が何処に居るのか解らなくなる程、旧知の街は突然、他人の顔をする。
 『種山ヶ原』は、そんな迷い道の怖さを思い出させる作品でした。沢山の『顔』を持つ自然がみせる、一時の夢。幾つもの夢がうなりをあげる風と共にくるくると交ざりあって、楽しくて怖くてドキドキと胸が苦しくなりました。うまく言えないけれど、自分の存在そのものが、荒れ狂う風によって何処かにもっていかれて、小さくなって不意に消えてしまう様な不安を感じました。ごつごつした岩砂利を踏みしめ、上着の裾をごうごうと唸る風にはためかせ、引きちぎられる様な勢いで流れていく大きな雲を見つめながら、見渡す限りの自然に圧倒される、そんな自分を賢治も種山ヶ原で感じたりしたのでしょうか。 (成瀬りな)

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(6) 「七つの森のこつちのひとつが
   水の中よりもつと明るく
   そしてたいへん巨きいのに
   わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
   このでこぼこの雪をふみ
   向ふの縮れた亜鉛の雲へ
   陰気な郵便脚夫のやうに
     (またアラツデイン 洋燈とり)
   急がなければならないのか」     (「屈折率」 ちくま文庫「宮沢賢治全集」1)
水より明るい「七つの森」。賢治なら行けたかも知れない理想郷はあえて目指さず 、「陰気な郵便脚夫のやうに」でこぼこの雪道を急ぐことを選んだところに、私は賢治らしさを感じます。それは、強い義務感と使命感を背負った、あえて厳しいところを走る者...修羅そのもののようでした。詩の最後の一行を「急がなければならないのか」としたところに、意志とは違ったもっと宿命めいたものに引き寄せられていく感じを受けました。七つの森に行きたいが行けない、なぜならそれは自分の行く道ではないから。けれど振り切るには美しい森。そんな賢治には珍しい心の揺れを感じられるような一行だと思います。またこの言葉からは、あらためて自分の使命を確認し 、その重さと困難な道のりをかみしめている賢治の姿も浮かんでくるように思います。美しくも暗く重い雪国の自然とぴったりと重なって、読んでいる私にずっしりと、 のしかかって伝わってくるのです。(山本有香)

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(5) 虔十の林での博士の言葉全部
「ああさうさう、ありました、ありました。その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見てゐたのです。この杉もみんなその人が植ゑたのだそうです。あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。たゞどこまでも十力(じふりき)の作用は不思議です。こゝはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでせう。こゝに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するやうにしては。」 (「虔十公園林」ちくま文庫賢治全集6巻 P.411)
虔十さんの家族は賢治さんの家族にオーバーラップさせてしまいます。そして虔十さんは賢治さんに… そんなふうに読んでしまうのでこの本の文章がそして言葉のひとつひとつが 大切に思えてなりません。子供の頃、私は体が弱くずっと劣等感を持っていました。何をやってもダメな子だったけれど笑う事だけは人一倍だったように思います。そんなわけですので虔十さんに共鳴したのかもしれません。博士の言葉のそれぞれに何度も胸を熱くしました。自分のようなものでもいつかきっとと、思わせてくれました。劣等感を救ってくれた博士の言葉は大人になった今でも読むと胸が熱くなるのです。(うさこ)
うさこさんへの感想
同感です。そのあとに続く「これから何千人の人たちに本当のさいわいが何だかを教えるか数えられませんでした」という文章がさらに感動しました。(あみ)

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(4) 「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互いほかの神さまを信ずる人達のしたことでも涙がこぼれるだらう。」(「銀河鉄道の夜」第三次稿 ちくま文庫「宮沢賢治全集」7 P.554)
「現代のイーハトーヴォを求めて」の中の「新規参入の楽農民」に登場する小林剛さんがこの言葉をノートに書いてくれました。銀河鉄道の旅の最後にカンパネルラが消えていなくなってしまい、黒い大きな帽子をかぶった大人がジョバンニに語りかける話の中にこの言葉が出てきます。前後の脈絡はかなり複雑ですが、賢治が大好きで花巻に移り住んだ小林さんがこの部分を心に刻んでいた気持ちはよくわかる気がします。(山本 眞人)

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(3) 狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、「なまねこ、なまねこ、世の中のことはな、みんな山猫さまのおぼしめしのとほりぢゃ。おまへの耳があんまり大きいのでそれをわしに噛ってなおせといふのは何といふありがたいことぢゃ。なまねこ。」と云ひながら、たうとう兎の両方の耳をたべてしまひました。(「洞熊学校を卒業した三人」ちくま文庫「宮沢賢治全集」7 P.84)
「洞熊学校を卒業した三人」はグロテスクな話しです。私にとってそれまでの宮沢賢治のイメージは、清く正しい優等生だったのですが、コレを初めて読んだときにくつがえされました。人より上になることばかり考えていると幸せになれないという道徳的な教えの話しでありながら、登場人物といいエピソードといい、奇妙でしょうがないのです。 「なまねこ」は、顔を洗わないたぬきが山猫大明神さまにとなえる念仏ですが、私の幼い頃に、腰の曲がった祖母が仏壇に向かってモゴモゴと唱えていた「なんまだぶ、なんまだぶ」のニュアンスを思い起こさせる上に、たぬきのいんちき宗教にふさわしい生臭さもただよっていると思いませんか? 念猫というのにもずっこけますよね。 この話しでもうひとつくすぐられるのは、なめくじの「ハッハハ」のくどさです。もう少しで坂口安吾といったところですよ。(永野聖美)
永野聖美さんへの感想
この話を読むと、昔小さいときに「なんまんだぶ」よりもっと短く、「なまなまなまなま・・・」と言って目をつぶり両手を顔の前に持ってきてこすって拝んでいたことを思い出します。この「なまねこ」について触れていらっしゃるのが嬉しくてコメントしてしまいました。 (astrophytum)
この1行目、なんだか判らないまま惹かれて、 今もずーっと反芻しています。(カワミ)

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(2) 「僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない。」(「銀河鉄道の夜」ちくま文庫「宮沢賢治全集」7 P.292)
8年前の夏、角川文庫のCMで宮沢りえが朗読した一節である。このとき高2だった私はこれをきっかけに銀河鉄道の夜を読んだ。 最初に読んだとき、全編に流れる美しい文章と、過去形の文体が哀しくて好きになって、それから少し滞りを感じた。ひとくちで言うならば、銀河鉄道の夜は死にたくて死んだのではない、もしかすると本当の幸せのために死んだ人の話だと思う。銀河で あった登場人物はみんな、ほんたうの幸が何なのかを問いかける。ほんたうの幸が、自分の幸せじゃなくて、誰かの幸せだったり、本当にいいことをすることだったりという答えらしきものは文中に出てくる。でもほんたうの幸せって、本当にあるんだろうか? ほんたうにいいことって出来るんだろうか? そんな思いが胸につかえて残ってしまう。日常生活が忙しい振りをして、考えずにいたりするけど、私もほんたうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはないと思えるようになりたい。宮沢賢治もそう思っていたのかなぁ。(沖田 あきの)

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(1)「おれはいやしくも神ぢゃないか、一本の樺の木がおれに何のあたひがあると毎日毎日土神は繰り返して自分で自分に教へました。それでもどうしてもかなしくて仕方なかったのです。」(「土神ときつね」ちくま文庫「宮沢賢治全集」6 P.119)
「土神と狐」は童話なので登場するのも人間ではないし、文体も世界も本当にきれいなのに、土神の感情の流れがリアルで妙な生々しさがあり強く惹かれました。上の文は土神が樺の木への思いと神である自分との葛藤で悩んでいる部分ですが、これはあくまで一例で、土神の自分の追いつめ方が私自身の自分の追いつめ方と本当によく似ていて、土神の考えに共感するというよりは土神に自分自身を見てしまいちょっとうんざりするほどでした。しばらく樺の木に会っていなかったから樺の木は待っているかもと勝手に考えてウキウキしたり、それが打ち砕かれて、又悩んだあげく本当は自分の感情を押し殺しているだけなのに吹っ切ったと思いこんでいる所なんか、ああ、おバカ、あなたおバカだけど私と一緒と、読んでいてなんだか情けない気分になってしまいました。だからリアルと書きましたがこのリアルさは私だけのものなのかもしれません。それとも他の方も同じようにうんざりするのでしょうか?樺の木、狐、土神、それぞれ違った形の人間の弱さを表わしている気がしますが、賢治はどの立場にいたのでしょうか。それとも少し退いた立場なのでしょうか。退いた立場だとしたら少し意地悪で怖い気がします。ちなみに私は今の所、土神ほどの破滅を犯したことはありませんが土神がほんのちょっとしたきっかけで頭が「ぐらっ」としてしまったように私も「ぐらっ」としてしまうことがあるのかと少し心配です。この「ぐらっ」という言葉は人間のたががはずれてしまうときのイメージを本当によく表していると思うのですが、どうでしょうか?(小泉 政未)
小泉さんへの感想
●「土神に自分の姿を見たのは、小泉さんだけではありません 安心してください 初めて読んだとき、私もなんて自分は土神に似ているのだろうと思い息をのんで、読んだ記憶があります 2度、3度と読み返して思い直しました 神と名がつく者でさえ、こうなら人間ならば…って 楽観的過ぎるでしょうか 狐ほどではないけれど、人に自分をよくみせようとする部分が私にはあります。樺の木のように、人に話をあわせるだけで、何も行動出来ない、情けない状態になることも時にはあり、だから日々反省の連続です 繰り返し読んだ今は、賢治さんも、人間の弱い部分を抱えていた人 だったからこそ、この作品が書けたのだという気がしています (うさこ)
●「土神に自分自身を見てしまう」という意見には、同感です。だから小泉さんだけのリアルさではなく、私のリアルさでもあり、おそらく賢治自身のものでもあったと思います。(加瀬川 和夫)

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