東和町の空・山・川・総合研究所と
イーハトーブ・エコミュージアム構想
花巻市の東隣の東和町は宮沢賢治がよく歩きまわった行動圏の一部であり、賢治の作品にしばしば出てくる場所も多い。また花巻市では市街地化した地域が多いのに対して、東和町では豊かな自然と美しい景観が残されている。こうした地域特性を生かして、この町では草の根国際交流やエコ・ミュージアムといった人的な交流やネットワーキングを中心にした地域づくりが進められている。そうした活動の中心人物の一人である今橋克寿さんの話を聞いた。
インタビューの場所は、東和町の総合情報センターの空・山・川・総合研究所。この研究所は町民が自分たちの手で主体的なまちづくりを進めていこうという町版のシンク・タンクだ。
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ネパール滞在中の今橋さん |
編集部:空・山・川・総合研究所というのは、町がつくった組織にしてはずいぶん独特ですね。
今橋克寿さん:1億円のふるさと創生資金を活用する方法を町民各層で検討する過程で、まちづくりのためには、ハコモノより人材の育成や国際交流、情報ネットワークの構築が重要だということになり、そこから住民が研究員になる町版のシンクタンクである空・山・川・総合研究所と国際交流協会、それらの活動拠点になる公的機関として総合情報センターがつくられたんです。
空・山・川・総研は、年間会費2000円を出せば誰でも会員になれます。地域づくりに積極的関心をもつ町民が集まって、さまざまなテーマで議論や研究を重ねて、まちづくりのための提案をしています。
たとえば、インターネット上にホームページをつくるプランがありますが、町役場としてつくることになると、あるページの内容について何人もの判をもらわなければならず、タイムリーに生き生きとしたページをつくることは難しい。任意団体の空・山・川・総研なら、軽快なフットワークとメンバーの創意で新鮮な情報の発信ができます。
現在70名くらいの会員がいますが、実際に活動に十分な時間をさける人の数が少ないのが悩みです。理想としては、町民全員が研究員になる状態をめざしています。
私はこの情報センターの専任スタッフだったのですが、現在は教育委員会の社会教育課に所属しています。
編集部:東和町には、最近は、大都市から移り住んでくる人も多いようですが、どんな人たちが転入しているんですか?
今橋克寿さん:もともと若者の流出や自然減で人口減少が続いていたんですが、最近は、他県から転入する人が増えてきて、人口は横這いになっています。他所から移ってくる人は音楽家の姫神の星吉昭さんのような豊かな自然と文化を求めてくる人が多いようです。音楽家だったり、工芸家だったり、手に職をもつ人たちが主ですね。それから、脱サラで農業を始めようという人も近頃目立ちはじめています。
編集部:空・山・川・総研では、「イーハトーブ・エコミュージアム」を主な活動テーマのひとつにしている訳ですが、エコミュージアムといってもなかなかわかりにくいので、中心になっている今橋さんの経歴と関連させて、エコミュージアムの考え方をうかがった方がいいかもしれませんね。今橋さんは、どういう経緯でネパールでの活動をはじめられたのですか?
今橋克寿さん:私は、茨城県の日立市で生まれ、土佐で過ごしました。その後、筑波に移り、環境科学という分野で文化人類学の川喜田二郎先生の教えをうけたんです。他方で川喜田先生の関係で、ヒマラヤ保全協会のNGO活動に参加するとともに、岩手県の岩泉町での研究プロジェクトに参加し、ネパールと岩手の山村の生活を比較研究することをテーマにしたんです。
こうした経験を通じて、農山村の人たち一人一人が身につけていることの中に、本当の意味で豊かな生活の知恵があることがよくわかりました。
学識をもっているとはいえ都会住まいの人たちが農山村の人たちに何かを教えるという考えは傲慢で、むしろ、「農山村の人たちがみな先生、地域がそっくり教室」だと思うようになりました。
都会の人たちをはじめ現代人の多くは、これからの時代のエコロジカルな生活のあり方を探るために、農山村の人たちの生活から多くを学ぶ必要があると思います。
編集部:「農山村の人たちが、みな先生。地域がそっくり教室」という点が、今橋さんの言うエコミュージアムの考え方の基本になっているんですね。
今橋克寿さん:そうです。ネパールと岩手といった異なる地域の農山村の人たちが互いに交流し、自分たちの生活や文化の中にある豊かさを再発見し、たがいに励ましあう関係をつくっていくことがこらからの地域づくりのためには重要です。
その後、私は生活の立て直しのために故郷に戻りソフトハウスの仕事をしたりした時期もあったんですが、ネパールや岩手の山村の人たちの生活の豊かさを知ると平場(ひらば)のうすっぺらな生活にはすぐに耐えられなくなってしまいました。そして自分のライフワークであるエコミュージアムに戻りたいと思っている頃、空・山・川・総研のある東和町から声をかけてもらったんです。
編集部:それにしても、賢治はチベットと岩手の山を重ねて考えていたようですから、ヒマラヤと岩手をつなぐという今橋さんの活動は、もともと賢治との接点があったことになりますね。
今橋克寿さん:そうですね。賢治にとってはチベットは仏教の聖地であり、高い文明をもつ憧れの場所だった訳です。
ところが、岩手のことを「日本のチベット」と言ったり、岩手の中でも山奥の不便な所をチベットという言い方があり、これはチベットを近代の物質文明万能主義の色メガネによって、文化の劣る僻地とみなすきわめて不謹慎な、チベットの人にたいへん失礼な考え方です。
真のイーハトーブをめざすエコミュージアム運動を通じて、こうした既存の誤ったチベット観、浅薄な価値観をひっくり返していく必要があります。こういう点でも、賢治の思想とその実践はよい先達になってくれます。
空・山・川総合研究所のホームページ:http://mihost1.michinoku.ne.jp/~ihtvem/
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