私にとっての賢治 English

ロジャー・パルバースさんインタビュー

1996年の日本国内のメディアでは、すごい量の報道が宮沢賢治についてされたのに、例えば、英語圏の雑誌や新聞で賢治についてどの程度とりあげられたかを調べてみると、ほとんどないに等しい。このギャップの大きさをどう考えればいいのでしょうか。
これには訳があります。アメリカの東海岸の大学を中心にした日本文学研究者の間で、アメリカから見た日本のイメージにあった文学者、谷崎、川端、三島-----といった人たちが研究対象にされるということが根強くありました。日本文学の翻訳を出す出版社も限られていて、ブランド化された特定の作家のもの以外は受けいれられませ んでした。
 20数年前に、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の翻訳をアメリカの出版社にもっていった時にも、内容の善し悪しではなく、アメリカの日本文学研究者によってお墨付きを与えられた作家ではないという理由で門前払いに会いました。
 しかし、1980年代以降、アメリカでも型にはまった日本のイメージが崩れはじめ、日本のさまざまな面への関心が生まれ、宮沢賢治を紹介する余地もひろがってきているのが現状です。
私たちのサイトの大きな課題のひとつも宮沢賢治の作品を海外に紹介することにあるのですが、賢治の作品のどういう所が海外の読者にとっての魅力となるでしょうか。
第一には、賢治の文章のすばらしさです。賢治は他の人には真似ることのできない独特の文章を書いています。
 また、近代以降さまざまな分野への専門分化が進み、全体を見通す人がいなくなってしまう訳ですが、賢治の場合、文学だけでなく宇宙、地質、植物、農業といったようにさまざまな分野を深く学び、しかも、それらがバラバラではなくヨーロッパ の中世の知識人のように統一された知識になっています。そして、そうした全体を支え ているのが自然との関わりだった。自然との正しい関係というテーマが全体の土台になっている。これは、これからの時代を生きようとする人たちとの重要な接点になるでしょう。
 賢治の自然との関係の仕方は、日本の多くの文学者のような受動的ではなく、能動的で、野や山にでかけていき、観察したこと、感じとったことをたえず手帳にスケッチしていく外光派です。自然の中の情緒を詠嘆的に述べるのではなく、自然を実験室とみなし、自然と自分との関係を絶えず冷静に観察する姿勢をもっています。そういう点では欧米の読者にもなじみやすいと思います。
パルバースさんが翻訳された「銀河鉄道の夜」は、なかなか複雑で読み方が難しい作品だと思いますが、パルバースさんはどういう読み方をされたのでしょうか。
そんなに難しいとは思いません。「銀河鉄道の夜」の主題は、人には死が定まっていてそれから逃れることができない業(カルマ)があり、避けられない死による愛する人との別れを受け容れて諦めなければならないということです。親友のカムパネルラと銀河の空を一緒に旅したジョバンニは、物語の最後の部分で夢から覚め、カムパネ ルラはおぼれ死んで、他界に向かう旅の途上にあったことを知ります。ジョバンニは川のほとりでカムパネルラがおぼれたことを知らされ、そこでカムパネルラのお父さんの博士に会うと、博士は「もう駄目(だめ)です。四十五分たちましたから。」ときっぱりとした口調でいう。これは、息子の死を受け容れ、諦めなければならないと自分に言いきかせているのです。そして、自分の子供がおぼれてどうなったかまだわからない状況なのに、北の海に出かけているジョバンニのお父さんのことを気づかい、「あした放課後みなさんと遊びに来てくださいね。」とジョバンニを元気づける。博士は、自分の息子の死を冷静に受け容れようと努めているのです。しかしジョバンニに声をかけながら、博士は時計を握りつぶしそうに固く握りしめているんです。努めて冷静であろうとしながら、心の中では悲しみがたぎっている。これは、妹の死を受け容れて諦めようとしながら、心の中では悲痛な想いから逃れられなかった賢治自身の気持ちと同じだと思います。この部分が「銀河鉄道の夜」で一番好きな所です。
花巻での宮沢賢治国際研究大会のパルバースさんの講演で、現代の人が賢治の時代の状況を正確に知ることは難しいが、21世紀に向かう時代を生きようとする人たちは、賢治の作品の中にあるメッセージを自分たちなりに受けとめればいいと話されているそうですが、賢治の21世紀へのメッセージとはどういうことですか。
もっと多くのモノが欲しい、金が欲しいという欲望、セックスへの欲望、さまざまな欲望がありますが、そういう欲望をほどほどに抑えないと人間は滅びるということです。自分たちの欲望を抑える力が現代の日本人には弱くなってきています。最近の官僚の腐敗とか、困った例にはこと欠きません。
 宮沢賢治は、強い自己犠牲の精神、人のために尽くしたいという気持ちを持ち続けた人で、賢治の死も一種の餓死に近いのではないかと私は思っています。そういう人の真似をするのを勧めることはできませんが、ささやかでも人のためになることがで きれば自分の身体を動かそうというボランティア活動、自然と人間の正しい結びつき方の回復といったことに目を向けはじめた人たちにとって、賢治の作品は深い意味をもつと思います。

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ロジャー・パルバースさんのプロフィール
  • 1944年ニューヨーク生まれ。作家・劇作家。
  • UCLA卒業後、ハーバード大学大学院でロシア語とポーランド語を専攻。
    67年に初来日し、数多くの作家・演劇人と交流。
    76年オーストラリアに帰化。
    82年「戦場のメリークリスマス」の助監督を務める。
    以後、再び日本に居住。現在、京都造形芸術大学教授。
  • 著 書
    ・「英語で読む「銀河鉄道の夜」」(ちくま文庫)
    ・「ウラシマタロウの死」(小説・新潮社)
    ・「ヤマシタ将軍の宝」(小説・筑摩書房)
    ・「トラップドアが開閉する音」(評論・コナミ出版)
    ・「アメリカ人をやめた私」(自伝的エッセイ・サイマル出版会)
    ・「新聞を吸収した少女」(小説・マガジンハウス)
    ・「文通英語術」(岩波書店)
    ・「日本ひとめぼれ」(岩波書店)

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