編集日誌 No.101より

 「宮沢賢治の宇宙」の中の「私にとっての賢治」でインタビューさせていただいた王敏(ワン・ミン)さんが「宮沢賢治、中国に翔る想い」を岩波書店から出版した。
 この本は、王敏さんの博士論文をもとにしたもので、賢治作品と中国との関わりについての従来の研究の弱点を補うために、大きく2つの点に絞って、詳細な究明を行っている。
 ひとつは、賢治作品と「西遊記」の関係である。「西遊記」は、唐の時代に仏教の経典を求めて、西域を通ってインドに行った玄奘の旅をもとにした物語だから、賢治が切実な関心をもっていたとしても不思議はない。じっさい、弟の清六さんは、「西遊記」と「アラビアン・ナイト」が賢治の子供時代からの愛読書だったと語っていたという。ところが、「西遊記」と賢治作品の関連は、これまでほとんどとりあげられていないテーマなのだと、王敏さんは指摘する。
 玄奘とともに旅をする孫悟空はひょうきんものの面をもつキャラクターであり、やはり調子に乗ってはめをはずすことのある賢治は親近感をもったと思われる。
 そして、孫悟空の特性が「山男の四月」の山男などに投影されているのではないかというのが王敏さんの提案する仮説である。猿は赤い顔のものが多く孫悟空の目玉は黄金色なので、これは賢治が描く山男の属性と共通する。その上、「西遊記」には、人間を小さくしてしまう「紫金葫蘆」や「羊脂玉淨瓶」など奇妙な道具がいろいろ出てきて、悟空も妖怪に「陰陽二気瓶」という容器に小さくされて吸い込まれたりする。これは、山男が小粒の薬の六神丸に容器に入れられる、といった部分の下敷きになっているのではないか、と王敏さんは考える。
 もうひとつの研究テーマは、「北守将軍と三人兄弟の医者」と「唐詩選」の関係だ。従来の研究にも、「北守将軍と三人兄弟の医者」には、「唐詩選」の影響があることはさまざまな形で指摘されてきたが、王敏さんは、両者の関係について詳細な検討を試みている。
 この物語では、塞外の砂漠に出陣していたソンバーユ将軍の軍勢が、30年ぶりにラユーの首都に戻ってくるが、その姿はあわれにくたびれ果てたあり様だ。将軍の身体は鞍にはりつき、鞍は馬について離れなくなってしまっている。こうしたこわばった状態の将軍と馬を、名医の三人兄弟の医者が治癒する。
 唐の時代にも北の乾燥地帯の遊牧民との戦いが大きな課題とされたので、しばしば砂漠に軍が派遣されたため、「唐詩選」にはこうした戦の苦難を詠んだ詩も多い。したがって、「唐詩選」から得たイメージが「北守将軍と三人兄弟の医者」の場面設定の土台になっているという考え方は説得力をもつ。
 また、王敏さんの指摘で興味深いのは、この物語の舞台になっている首都の「ラユー」とは「洛陽」をモデルにしているという考え方だ。中国の発音で、「洛陽」は"lou yang"で、「ラユー」に近い聞こえ方をするという。賢治が中国人の発音を聞いて、それをもとに「ラユー」という地名を使ったというのは、ありそうなことに思える。
 「宮澤賢治語彙辞典」の「ラユー」の項では、香辛料の「辣油(ラーユ)」をもじったものだという解説になっているが、これはちょっと違いそうだ。