編集日誌 No.113より

 11月6日に、前に編集日誌No.108でとりあげた「響きの器」の著者、多田フォン・トゥビッケル房代さんのレクチャーを聞くことができた。
 多田さんのレクチャーは独特なスタイルで、秩序だったストーリーで聞き手を説得しようとするものではない。心の深い層から現れる混沌とした大きなエネルギーに関わり合う経験の積み重ねを通じて、概念に収斂させすぎると、混沌とした状態の中にある大事なものを取り逃がしてしまうと、多田さんは強く感じている。それで、混沌とした状態が含む不分明なものをそぎ落とさないような、提示の仕方の模索が起きているようだ。
 レクチャーの前半では、ドイツで暮らし音楽治療の試みを重ねる多田さんが、今、切実に感じ、考えていることを、スケッチ風に語ってくれた。
 後半では、多田さんの音楽治療を記録した音声と映像を使って、心と身体が世界に開かれたあり方を取り戻していく過程を具体的に例示してくださった。この部分は迫力に富んでいるが、私たちが言葉でコメントしても、何かを伝えるのは難かしい。
そこで前半のレクチャーについて、感じ考えたことの一部を記しておくことにする。

 心と身体と世界についての感じ方を捉えるために、多田さんは「風」という言葉を多義的に使っている。たとえば、「声の即興」のセッションで、声が身体から外に発せられるとともに身体の内に「入る」ようになる変化を、「身体の中の風が変わる」と言っているようだ。ドイツ語では、Stimme は「声」で、動詞形のStimmenは「調整する」「音を合わせる」になり、さらにその名詞形のStimmungは「調子」「気持ち」「雰囲気」という意味になるという。ドイツ語では、「声」は自分の身体とまわりの世界を共振させる、という捉え方がされているらしい。
 また、森の中を歩いていて、何かの気配を感じたりする場合にも、「風が変わる」「空気が変わる」という感じがすると言う。森を歩くことについては、ご主人のフォン・トゥビッケルさんがドイツでのワークショップで話したことを引用して、森の中に入る時に呼び醒まされる「身体を通じて自然を感じとる」感応力について、多田さんは話す。
 森の自然は、美しいだけでなく、時には恐ろしくまた邪悪でもある。そういう自然の中で生きてきた人たちは、野生動物のように、自然の中でさまざまな変化を敏感に感じとった。そういう自然に対する感応力をどうやってとり戻すか、と多田さんのご主人は問いかけたようだ。こうした森の中の何かの「気配」にも、多田さんは「風が変わる」という感じがすることがあるという。

 これを聞くと、賢治作品の読者たちは、賢治の物語の「風がどうと吹いて」という表現を思い出すのではないだろうか。多田さんの言う「風が変わる」は、実際に吹いてくる風が変わって、それが気象の変化、季節の変化の徴候になるというのと、周囲の状況の変化の徴候、気配の両方が含まれているようだ。賢治も、こういう「風が変わる」「空気が変わる」ということにとても敏感な人だったに違いない。
 「風の物語」とも言える「風の又三郎」の九月四日の牧場の場面では、高原の気象の変化とその恐ろしさが、少年たちの目から精緻に描かれている。「風の又三郎」の最終稿にとりこまれる作品のひとつである「種山ケ原」にこの牧場の場面の原型がある。この作品では種山ケ原について、「実はこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気のお定まりのぶっつかりの場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつももうすぐに起って来るのでした。」と気象学的に語っている。
 そして、主人公の達二は、母親に頼まれて兄に弁当を届けに高原に昇っていくが、よく晴れた天気が急変する兆しを小さな「流れの変化」から感じとる。「泉が何かを知らせる様に、ぐうっと鳴り、牛も低くうな」る、というのがその兆しだ。この部分は後に「風の又三郎」に取り込まれて、「みんなが又あるきはじめたとき湧水は何かを知らせるようにぐうっと鳴り、そこらの樹もなんだかざあっと鳴ったやうでした」となっている。
 こんなふうに、賢治の作品では、多田さんが言う「風が変わる」「空気が変わる」という状況を微細に捉える。そして、賢治作品の場合も、「風が変わる」というのは、気象の変化や何かが起きる気配であるとともに、主人公の子どもたちの「身体の中の風が変わる」ことでもあると言えそうだ。

 また、多田さんは「からだの中を流れる風を感じる」といった言い方もする。じつは、これに似た表現は、多田さんが来日する前に「宮沢賢治の宇宙」編集委員会に送ってくださったメールの中にも出てくる。(「響きの器」について触れた編集日誌No.108を出版者に送ったのを多田さんが読んで、応答してくださった。)
 多田さんは、最近、賢治の詩と「再会」する機会があったと言い、その時に書いた言葉を送ってくださり、その中に、賢治の詩を読んで自分の「からだに流れる風を感じる」といった部分があった。
 これはどういう感じだろうかと考えてみて、賢治の用語では「すきとほった風」というのが近いのではないか、と思った。
 「宮沢賢治の宇宙」の「賢治の作品世界/時空」の中の「モナド的な微塵の感覚と華厳経」でも書いたように、賢治がよく使う「すきとほった」「透明な」という言葉は、「わたくし」と「風景やみんな」とが互いに浸透し合う感じを表していると思える。それは、詩「種山ケ原」の先駆形「種山と種山ケ原」のパート三にとくにはっきりあらわれている。  なだらかで穏やかな高原が「天に接する陸の波」のように続いているのを見渡し、遠くで馬が集まり、動いているといった光景に見入るうちに、「あゝ何もかもみんな透明だ」という感じになる。この「透明だ」というのは、雲や風や水や地殻を構成する因子と「わたくし」を構成する因子が同じで「水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ」という相互浸透的な感じ方だ。
 となると、賢治にとって、「すきとほった風」は「わたくし」の内を吹いているのでも、外を吹いているのでもなく、「わたくし」は風とともに吹いている、という感じなのだろう。
 多田さんが賢治の詩を読んで「からだに流れる風を感じ」たというのも、賢治が生きた「心象の宙宇」、「わたくし」と「風景やみんな」が交錯する流れに入りこんで、開かれた大きな流れとともにあるのを感じたと言うことではないか。

 多田さんの感じ方を知ることを通じて、今まで気づかなかった賢治作品の豊かさを発見できそうだ。