賢治の作品「楢ノ木大学士の野宿」に出てくる楢ノ木大学士は、貝の火商会の赤鼻の支配人というなんだかいかがわしい人物に上等な蛋白石さがしを頼まれて、イーハトーヴォに出かける。この大学士は、野宿をして周囲の山や鉱石が出てくる夢を楽しむ浮き世ばなれした学者である。しかし、支配人に対して、「僕と宝石には、一種の不思議な引力が働いてゐる」などといい加減なほらを吹いて蛋白石さがしを安請け合いするあたりは、この大学士は山師的な性格も帯びているようだ。
かつて大学出が少なく希少価値が高かった時代には、大学士という称号は山師的な人物にとっはこけおどしの道具として重宝されたようだ。内藤正敏さんの「遠野物語の原風景」(ちくま文庫)を読むと仙台で「赤門学士院」という名前で骨接ぎをしていたという山師の話が出てくる。この赤門さんは、遠野の金鉱を試掘し景気のいい話をして多くの人を巻き込んでおきながら、鉱夫に給料も払わずにあっさり閉山してしまった無責任な人物だ。この人の家を仙台の大町に訪ねてみると、骨接ぎのほか、自動車学校、そろばん塾、アンマ、灸の学校と多角経営をしていて、入口の門を赤く塗っていたという。
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