賢治が「春と修羅」の「序」でも手がかりにしているのではないかと思われる華厳教の「インドラの網」のモデルは、不思議な程、ライプニッツなどのモナドの考え方に似ている。モナドとは、「インドラの網」のモデルの珠玉にあたるもので、それぞれのモナドはそれぞれの仕方で世界を表現すると見なされている。人間や動物の魂はモナドの一例である。
賢治も華厳教の思惟とモナドとの奇妙なほどの類似に強い関心をもったらしく、賢治の詩の中でもモナドという言葉がしばしば使われている。
華厳経は「雁の童子」の舞台でもあるタクラマカン砂漠縁辺のオアシス都市コータンで編纂されたといわれるが、この地域を回廊とする東西の思惟の出会いと相互影響の歴史の中で華厳経が果たした重要な役割を教えてくれるものに、井筒俊彦さんのきわめて明晰な華厳教解読がある(井筒俊彦集9「東洋哲学」に収録されている「事事無礙・理理無礙」)。
この井筒さんの文章を読んで、華厳教の「インドラの網」のモデルとライプニッツのモナド論の類似は偶然ではなく、タクラマカン砂漠縁辺を通路としたインド文化、イラン文化とギリシャ文化の交流の歴史がその背後にあるのではないかと思うようになった。
井筒さんは、ギリシャ後期の哲学者プロティノスの「光」のメタファーに満たされた瞑想意識の世界と華厳経の世界の共通点に注目し、またプロティノスの時代のアレクサンドリアには、有力な仏教コミュニティが存在したといった点から、プロティノスが華厳教に触発されたこともありうるとしている。
もう一方で、プロティノスをはじめとする新プラトン主義の哲学者とライプニッツの関連が問題になるが、これについては、かなり明瞭なつながりが認められているようだ。たとえばドゥルーズ「襞----ライプニッツとバロック」には、ライプニッツのモナドという言葉は、新プラトン主義の哲学者の用語に由来すると書いてある。とすると、プロティノスなどの新プラトン主義の哲学者を仲立ちにして、華厳教とライプニッツのモナド論はつながっているという考え方も有力になる。
華厳教とモナド論の不思議な類似の背後に、タクラマカン砂漠を通路にしたこうした思惟のダイナミックな歴史があることを知ったら、賢治さんも感動するに違いない。
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