編集日誌 No.99より

 宮沢賢治が物語や詩のなかでしばしば使っているイーハトーヴォという地名は、岩手をエスペラント語風に変形させたものだと言われている。このイーハトーヴォという地名には、岩手の固有の風土に根ざしながら、普遍的な世界への通路を拓いていこうとする、賢治の問題意識が端的に表れていると言える。こうした賢治の独特な途の拓き方を、「イーハトーヴォ的な方法論」と呼ぶことにしよう。こうした賢治の方法論の特徴はどこにあるのか、まだ十分な考察がされていないのではないだろうか。
 「イーハトーヴォ的な方法論」の特徴を明かにしていくには、さまざまな角度から考えてみる必要があるが、華厳経で詳しく説かれている法界(ほっかい)とイーハトーヴォを較べてみるのが、有効な視点のひとつではないかと私たちは考えている。華厳経には、善財童子が弥勒菩薩に導かれて、菩薩の住処である法界に入るにいたるまでを語った「入法界品」という長い物語がある。この法界は、瞑想や行いの積み重ねによって菩薩が到達する、とても深い境地のことだと言える。
 法界における個別性と普遍性の関係は、個別性から概念的な抽象化を行って普遍性に至るという筋道ではなく、さまざまな個別性をそのまま包み込むような普遍的な秩序が現れる、というところに重要な特質がある。他方、イーハトーヴォの物語の魅力は、岩手の野や山の心象スケッチから日常的な秩序を超えた世界への移行がきわめて繊細に描かれる点にあるが、これは固有性の強い岩手から普遍性を帯びたイーハトーヴォへの転調と言ってもいいだろう。そして、イーハトーヴォの普遍性は、やはり、人間や生き物の固有性を否定してしまうのではなく、それぞれの固有性をそのまま包みこみ、結びつけるような性格をもっているようだ。こうした法界とイーハトーヴォの同質性について考えてみると、賢治の方法論の特徴が捉えやすくなるのではないだろうか。
 たとえば、賢治の物語では、「鹿踊りのはじまり」の嘉十と鹿たち、「なめとこ山の熊」の小十郎と熊、「どんぐりと山猫」の一郎と山猫の関係ように、親密な状態が深まると動物たちの言葉の意味がわかるようになる。つまり、人間と動物を隔てる日常的な世界では超えられない敷居が低くなり、人間と動物の間に相互浸透的な関係が生まれる。しかし、人間と動物がいり混じって、たがいの区別がなくなったりする訳ではない。
 華厳経の法界においても、個々の存在の固有性は保たれたまま、たがいに無礙(むげ)に浸透しあうことが可能な状態が生じる。例えば、鈴木大拙の「華厳経の研究」の「第三篇 菩薩の住処」では法界について、「すべてのものが隔絶せずに融け合ってゐるのだが、それでゐていちいちのものが個性を失うことのないように荘厳せられている」「法界は一般に無礙と名づけられること、その意味するところは、すべての個物はその分割性と相互抵抗にも拘わらず、ここでは全く相互渉入の状態にある」と言った説明がされている。
 中国では、華厳経学が盛んになり、こうした法界についての経文をどう読み解くかをめぐって入念な哲学的な考察がなされた。そして、華厳経学では、法界において、事どうしがそれぞれ固有性を保ちながら相互浸透的であるような関係(「事事無礙」という言葉が使われる)が起きうるのはなぜか、という点について、独特な説明がされている。つまり、「事」を成り立たせる諸要素という点では、あらゆる「事」は共通の諸要素からなる。しかし、相互的な関係によって、共通する諸要素のうちある部分が顕在的になり、残りの部分は潜在化するために、それぞれの「事」は、異なった個性をもつというのだ。
 他方、賢治は、岩手からイーハトーヴォへの転調が「心の深部」からの力によって起きると考えているようだ。そして、「注文の多い料理店」の広告文のなかで、イーハトーヴォの物語は、「たしかにその通りその時心象の中に現れたもの」だから、「どんなに馬鹿げていても、難解でも必ず心の深部に於いて万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解な丈である。」と主張している。「心の深部」には、万人、さらにあらゆる生物が共通の潜在的な諸要素をもつが、大人の場合は文化の鋳型に自らを合わせたため、そのうちある要素だけが顕在化するようになっている、という考え方だろうか。そうだとすると、法界との比較で、イーハトーヴォの特徴の一面を浮彫にできると思われる。
 賢治は、華厳経の法界についてよく知っていたと思われるが、わたしたちは、「イーハトーヴォ的な方法論」が法界の考え方をもとにしてできたと言いたい訳ではない。賢治の発想は複雑なので、つねにさまざまな要素が響きあっていて、ひとつの要素だけで説明しようとすると、間違ってしまう。しかし、「イーハトーヴォ的な方法論」に示唆を与えたもののひとつが法界だった、というのは大いにありうることだろう。