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妹と賢治の永訣
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けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
という妹へのよびかけで始まる「永訣の朝」では、危篤の妹と賢治の心の結びつきが劇的に描かれている。高熱の妹は賢治に雪をとってきて欲しいと頼み、賢治はみぞれの降る戸外に、陶の椀をもって飛び出していく。「ああとし子/死ぬといふいまごろになつて/わたくしをいつしやうあかるくするために/こんなさつぱりした雪のひとわんを/おまへはわたくしにたのんだのだ/ありがたうわたくしのけなげないもうとよ」と賢治は妹のけなげさに感激する。
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死んだ妹の影を追う北への旅 |
こうして、1922年11月27日、妹のとし子はこの世を去った。翌年夏、賢治は妹の影を求めるように、北海道、樺太への旅をする。その途上の車中での心象を描いた「青森挽歌」では、賢治は自分の心にとって、妹の死とはどういう現象かを知ろうとして、自らの感覚と思考に執拗に問いかける。
かんがへださなければならないことは
どうしてもかんがへださなければならない
とし子はみんなが死ぬとなづける
そのやりかたを通つて行き
それからさきどこへ行つたかわからない
それはおれたちの空間の方向ではかられない
感ぜられない方向を感じようとするときは
たれだつてみんなぐるぐるする
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妹の昇っていった空間をたどる |
賢治は死んでいく妹が感じたであろうことを賢治の心象の中でたどっていく。呼吸がとまり、脈がなくなってから、「あのきれいな眼が/なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた/それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた/それからあとであいつはなにを感じたらう/それはまだおれたちの世界の幻視をみ/おれたちのせかいの幻聴をきいたらう」。それから、家のまわりの野原や林をしばらくさまよってから、上方にむかっていったと賢治は感じる。
それらひとのせかいのゆめはうすれ
あかつきの薔薇いろをそらにかんじ
あたらしくさはやかな感官をかんじ
日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ
かがやいてほのかにわらひながら
はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを
交錯するひかりの棒を過ぎり
われらが上方とよぶその不可思議な方角へ
それがそのやうであることにおどろきながら
大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた
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わたしの感じないちがった空間 |
こうしたぎりぎりの思考を繰り返して、妹はもう自分が感じることができない空間にいってしまったと考えても、賢治は、自分が感じる現象の中に妹がひそんでいるとふと感じずにはいられない。「青森挽歌」と同様、「オホーツク挽歌」のシリーズの中のひとつの詩である「噴火湾(ノクターン)」には、つぎの部分がある。
ああ何べん理智が教へても
私のさびしさはなほらない
わたくしの感じないちがつた空間に
いままでここにあつた現象がうつる
それはあんまりさびしいことだ
(そのさびしいものを死といふのだ)
たとへそのちがつたきらびやかな空間で
とし子がしづかにわらはうと
わたくしのかなしみにいぢけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ
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