「小岩井農場」における心象の時空

心象の時空のスケッチとしての「小岩井農場」
 「小岩井農場」は、1922年5月21日に小岩井農場を歩いた賢治の心象の記録という形をとった作品である。「春と修羅」第1集に収録された形では、パート五とパート六が空白になっているが、パート九まである長い詩で、小岩井の駅で「わたくし」が汽車を降りたところからはじまり、小岩井農場を歩きながら「わたくし」の感じたことをたどっていく。そういう形の詩にまとめられている。賢治の言う心象スケッチの代表的な例のひとつと考えていい詩である。
 詩の形に整えるための工夫が加えられているのは当然だが、賢治は実際にそう感じた心象を的確に記録しようという姿勢で書いたと思われる。その点で、かなり長い時間にわたって心象の流れをたどったこの詩は、賢治が経験した心象の時空の特質を知るためには、よい手がかりとなる。
幻想にともなう不安と高揚感  この詩から伝わってくる「わたくし」の時空は、何か不安定で、奇妙な歪みがつきまとい、つねに不安な感じがある。パート一で「わたくし」より先に駅を出て、馬車に乗って小岩井農場の中へ向かっていった農学士風の人とか、パート七で雨が降り出してから汽車の時間を聞いた農夫とか、実在の人物のようだが、夢の中の人物のように何か手応えが不確かである。
 時空のこうした不安定な感じは、さまざまな形で現れる「わたくし」の幻覚からも起きる。小岩井農場に向かう一本道を歩いていくと、道の前方では先に行った馬車がだんだん小さくなったが、「うしろから五月のいまごろ/黒いながいオーヴアを着た/医者らしいものがやつてくる/たびたびこつちをみてゐるやうだ」と感じる。こうした幻覚は、「それは一本みちを行くときに/ごくありふれたことなのだ」と言う。冬にやってきた時にも、同じような人物が後ろからきて、声をかけられたように感じたのだ。後ろから幻覚がやってくると、前に向かっているのかどうか不確かで、後ろに歩いているような気にもなる。
 「小岩井農場」では、幻想(幻覚)はさまざまな形をとる。そして、「わたくし」は、幻想に不安を感じるだけでなく、時には心の深層から現れた「尊い」者たちとの出会いと高揚した気分をもたらす。パート九に現れる「巨きなまつ白なすあし」のユリアとペムペルの場合がそうだし、パート四でも、「すきとほるものが一列」「わたくし」の後からやってきて、口笛を吹いたりする高揚した気分になる。この「すきとほるもの」は「瓔珞」を身につけた「天の鼓手 緊那羅のこどもら」で、異稿によるとここで現れたのは「ガンダラ風」の「古い壁画」に描かれたこどもで、「インドラの網」の中で空気の希薄なツェラ高原で現れる「天の子供ら」と同じイメージらしい。そして、このこどもたちの幻覚が現れる前の所では、「侏羅や白亜のまつくらな森林のなか/爬虫がけはしく歯を鳴らして飛ぶ/------/たれも見てゐないその地質時代の林の底を/水は濁つてどんどんながれた」という太古の林を歩いている気分になっているのも注意をひく。
 このように「わたくし」にとって、幻想(幻覚)は不安なものであるが、時には、心の深層から幻想の形で現れた尊い、親しいものと出会うことができ、それは「わたくし」にとって喜ばしい、聖なる時空となる。
「小岩井農場」と「銀河鉄道の夜」の感情の流れ  また、この「たれも見てゐないその地質時代の林の底を/----」というところの後には「いまこそおれはさびしくない/たつたひとりで生きて行く/こんなきままなたましひと/たれがいつしよに行けようか」という言葉がつづく。つまり、この部分の気分の高揚で、それまでつきまとっていた孤独感から、一時的に自由になっている。そして、パート九のユリアとペムペルと出会ったあとの最後の部分でも、つぎのような表現がある。
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷を焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
 こうして見ると、「小岩井農場」における感情の流れは、「銀河鉄道の夜」のジョバンニのすみわたったような孤独感と間歇的に現れる歓喜の交錯によく似ていることに気づく。それだけでなく、不安定で奇妙に歪んだ時空の感じも「銀河鉄道の夜」の時空に似ていることがわかる。
ちくま文庫「宮沢賢治全集1〜『春と修羅・序』『小岩井農場』」より

心象スケッチと幻想


時 空
賢治の作品世界
宮沢賢治の宇宙