「雁の童子」と砂漠で発掘された有翼の天使

中央アジアの考古学調査と大乗仏教の歴史の遡源
 19世紀末から20世紀はじめは、中央アジアでの探検や考古学的発掘による画期的な発見がつぎづきになされた時代である。スヴェン・ヘディンの探検や考古学者のマーク・オーレル・スタインの本格的な発掘調査がなされ、タクラマカン砂漠の周辺のオアシス都市がヨーロッパ、インド、チベット、中国を結ぶ回廊としてきわめて大事な役割を果たしてきたことを明かにした。
 大乗仏教の経典を熱心に読んでいた賢治にとっては、経典の成立と波及の歴史という点からも、一連の発掘調査に強い関心をもったはずだ。タクラマカン砂漠の周りのオアシス都市は大乗仏教の成立と中国への紹介の要となったことが知られていながら、その歴史の一部は砂漠の中に埋もれてわからなくなっていた。それだけに、かつてのオアシス都市の遺跡が砂漠の中から見つかったことは、大乗仏教の歴史を遡るための失われた環の発見のような意味をもった。なかでも、賢治に強い印象を与えたのは、オーレル・スタインがミーランで発掘した翼のある天使の壁画だった。この壁画と結びつけられた天の童子たちが、賢治の作品の中で大事な役割を与えられる。
地質学、考古学の発掘と心の地質学  しかし、賢治の作品における天の童子たちやその壁画について考えるためには、賢治にとっては発掘は地質学や考古学の研究の方法であるだけでなく、「心の地質学」とでもいうべき意識の探究のためのメタファーの一環であることに着目することが必要だろう。
 『小岩井農場』における心象の時空で述べたように、野山を歩きまわる時などに賢治はさまざまな幻想(幻覚)を体験した。それらは彼を不安にさせると同時に、ある場合には、幻想の形で現れてくる「尊い」者に出会って心が高揚する。そして、賢治の心の深いところにあるらしいこうした元型的なイメージは、人類以前の地質学的な時代のイメージと結びついている。つまり、「心の地質学」のメタファーでは、まず心の深層と古い時代の地層が対応させられている訳である。
 「小岩井農場」のパート四とパート九では、天の童子たちらしい「瓔珞をつけた子」たちが現れる。そして、パート四では、「わたくし」が白亜紀の森林の中を歩いている気分になっているところで天の子供たちの幻想が出てきている。また、先駆形Aでは童子たちに「あなた方はガンダラ風ですね。/タクラマカン砂漠の中の/古い壁画に私はあなたに/似た人をみました」と言っているところを見ると、賢治にとって、心の深層から幻想として現れる天の童子たちと翼のある天使の壁画は近いものと感じられていることがかわる。
 有翼の天使の壁画が遺跡から発掘されたというエピソードは、深部にあるものが思いがけず姿を現すという点でも、心の深層から幻想として現れる尊い天の童子のイメージと対応するために、賢治に強い印象を与え、両者の深い結びつきが生まれたのではないかと思われる。
「雁の童子」と壁画  「雁の童子」でも、童子の壁画の発掘が心の古い層を呼び覚ますという物語の展開になっている。
 雁の童子と育て親の須利耶圭が、沙車の町のはずれの古い沙車大寺のあとから掘り出された三人の童子の壁画の前を通りかかり、この壁画に出会ったのをきっかけに、須利耶圭と雁の童子の前世の関係が呼びさまされ、童子は天に戻っていってしまう。前世では、須利耶と童子は親子で、前世の須利耶がこの壁画を描いたのだという。物語の最初で銃撃されて天に帰っていく雁の老人が雁の童子を須利耶圭に託す時に「これはあなたと縁のあるもの」と言ったのは、そういう意味だったのだ。
 このような形で、掘り出された壁画がきっかけとなって、意識の古い層にあった前世があかされることになっている。

 「雁の童子」の物語は、タクラマカン砂漠を旅する人が出会った小さな祠(ほこら)について、巡礼の老人に尋ね、雁の童子をまつるお堂であることを教えられ、老人から童子の物語を聴くというふうにして始まる。そして、この祠について「地理学者や探検隊ならばちょっと標本に持って行けさうなもの」と書かれていて、この最初の部分も考古学的な「標本」ともなりうる小さな祠を手がかりにして、それにまつわる須利耶圭と雁の童子の物語が明かされるという展開になっている。
 つまり、地理学者の標本になりそうな祠から始まって、最後に発掘された壁画を通じてこの物語の奥にあったものが明かされる、というように、考古学的な「標本」を通じての過去の解き明かしが、二重になっている訳である。

雁の童子と大乗仏教の源流  また、「雁の童子」は大乗仏教が中国へ伝わる経路となったタクラマカン砂漠のオアシス都市を舞台にした話なので、小さな祠をよすがにして、大乗仏教の源流に遡るような物語になっている。
 銃撃されて天に帰っていく雁の老人が須利耶圭に託した雁の童子は、大乗仏教の心を体現するような子供である。雁の童子は、恐ろしい程、両親や生き物に対する思いやりをもった子なのだ。須利耶の奥さんが蜜で煮た鮒を食べさせようとして魚を砕くと、童子は「俄(にわ)かに胸が変な工合(ぐあい)に迫って来て気の毒なような悲しいような何とも堪(たま)らなくなり」外に飛び出していってしまう。また、馬市で、まだ乳をのんでいる仔馬が母馬から無理にひき離されるのを見て、泣き出してしまう。十二になって、首都の塾に入れると、塾料のために機を織っている母を気遣って戻ってきてしまい、「もうお母さんと一緒に働こうと思います」という。
 こうした童子のありさまに、須利耶は少し恐ろしいようにも感じた。しかし、童子は、お爺さんと一緒に雁の姿をとって空を飛んでいて、お爺さんは人間に撃ち落とされ、自分だけ人間の姿になって須利耶に託されたのだから、他の生き物の痛みを知っている子であるのもうなずける。
 雁の童子は、雁の形をとっていたお爺さんを通じて、生き物どうしのつながりを強く意識している子であり、仏教的な感じ方を無垢な形で体現する子供として描かれている。

ちくま文庫「宮沢賢治全集 6〜『雁の童子』」より

「インドラの網」と天の子供ら


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