Q (117)実は最近、雨ニモマケズを読む機会があったのですが、 読んだあと、何か不思議な違和感がありました。 雨ニモマケズは、一般にその忍耐、献身の姿が美しいとされ、 戦前は教科書にも載っていたと聞いたことがあります。 しかし、本来、この詩のタイトルは「11.3」であり、 そして11月3日に書かれたものではないということを聞きました。
では、なぜ宮沢賢治は11.3というタイトルをつけたのか? 11月3日を表しているとすれば、今は文化の日ですが、 書かれた当時は明治節、つまり、明治天皇の誕生日です。 ならば、「雨ニモマケズは宮沢賢治の天皇また天皇制に対する 思想が反映されたものではないか?」と思うのです。
このことは私の思い違いかもしれませんが、スタッフの方々の 雨ニモマケズに対するご意見をお聞かせ願えないでしょうか? (ban)

A
Date: Thu, 28 Sep 2006   しろきさん

Date: Wed, 20 Apr 2005   山猫さん

Date: Tue, 5 Jun 2001   Jizouさん

Date: Sat, 26 May 2001   Astrophytumさん

Date: Sat, 16 Dec 2000   ひさんさん

Date: Sat, 9 Dec 2000   K.Bさん

Date: Tue, 28 Nov 2000   編集委員会


Date: Thu, 28 Sep 2006
   しろき

「雨ニモマケズ・・・。ラ、ホス颪C譴深蠶△鮓C襪伐寝媾蠅C貌ヌ佞韻ウe されていて、例えば10.25とか10.29とかあります。10.3もその続きではないかと思われます。 宮沢賢治は法華経信仰が強くその教えの実践を信条としていたようです 「雨ニモマケズ・・・」は彼の当時の法華経理解による実践の具体案だ と思います。 理解と具体案は人により年齢や環境や時代により様々変ると思います。
しろき様 文字化けしてしまいました。恐れ入りますが、質問フォームからではなく、メイルでもう一度送り直していただけますか。アドレスは、fieldlabo@as.email.ne.jpです。


Date: Wed, 20 Apr 2005
   山猫

この詩については、明らかに賢治の作品に手を加えたモノである可能性が大です。仰るとおり、そういった可能性も大いに考えられます。


Date: Tue, 5 Jun 2001
   Jizou

 「雨ニモマケズ」は賢治の死後、賢治の手帳に書かれていたのが見つかり、後に世に知られるようになったと聞いたことがあります。つまり賢治は作品としてこれを書いたのではなく、自分で自分に書いたものだということです。
 ですので「賢治がこの詩に11.3というタイトルをつけた」というのは上記の私が知っている話と矛盾します。彼はこれを人に見せるつもりもなかったし「賢治がタイトルをつけた」というのは違うのではないかと思います。
 私は知らないのですが「11.3」は単に同じページにそう書かれていただけのものなのではないでしょうか。
 また死後に見つかったにもかかわらず「11月3日に書かれたものではない」というのもどういう根拠なのか不思議です。
 ご存知の方があれば、さらなる情報を提供下さればと思います。


Date: Sat, 26 May 2001
   Astrophytum

この詩は宗教的な意味合いが強く、決して戦時中にうたわれたような意味があったわけではないようです。ちくま文庫の全集10巻目に雨ニモマケズ手帳が載っており、そこには「ワタシハナリタイ」に続いて「南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 (以下三行)」と書かれております。


Date: Sat, 16 Dec 2000
   ひさん

すごくいいしだとおもいます。


Date: Sat, 9 Dec 2000
   K.B

明治天皇の誕生日が現在の文化の日の当たることは承知していましたがそのことが賢治と関係があることは考えもしませんでした。 私の考えを少し述べさせてもらいます。 賢治は単純に「人のために生きる」ことを常日頃から考えていたと思います。それが「雨ニモマケズ」に集約されていると思います。臨終の場面にあってまでも自分が今まで生きてきた人生を振り返り「本当に人のために自分はでることのことは全てできたのか」と問い「いや,まだ自分はその境地に達していない」と反省しこの詩が生まれたのではないでしょうか。 賢治の目指す理想郷は天皇ひとりのためのものではないと思うのです。 ですから貴者が考えているようなことはないと思われます。


Date: Tue, 28 Nov 2000
   編集委員会

賢治の作品は、子どもの時に読むとよくわからない部分も多いけれど、強く印象に残るものがある。思春期に、また大人になってから読み返すと、それぞれの時期に、違った意味が読みとれるようになっていく。そういう書き方になっているようです。

「雨ニモマケズ」は、晩年の賢治さんの「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という素直な気持ちを書きとめたものだと私は思っています。こういう境地を菩薩道などと言って、賢治さんを聖人扱いにするのは賛成できませんが、賢治さんが晩年には、こういう心構えで生きたいと思う面があったということは、賢治さんを理解する上で大事なことだと思います。

賢治さんという人は、普通の基準が通用しない、不思議なところが多い人だと思います。ですから「不思議な違和感」が何なのか、考えてみるのはいいことなのではないでしょうか。

「雨ニモマケズ」は、自分を励ますような具合に手帳に書きとめたもので、他人に向けたメッセージだと思わない方がいいかもしれません。戦前に、「貧苦に耐える」ことを教えるための教材として「雨ニモマケズ」が利用されたのは事実だと思いますが、それは賢治のまったく意図しなかった利用のされ方だと思います。他方で、東北では賢治作品をきちんと読もうとする人たちは危険人物としてマークされ、賢治研究会に参加した人が逮捕されるという面もあったのです。

賢治という人は、自分に対しては異常に厳しい人だったようですが、同じような行動を人に強いるようなことはほとんどない人だったようです。とくに、教え子や後輩に対する姿勢は、きわめてリベラルだと言えます。

なぜ、この詩のタイトルが「11.3」なのか、よい説明を私は知りません。しかし、banさんのおっしゃる「雨ニモマケズは宮沢賢治の天皇また天皇制に対する思想が反映されたものではないか?」という説には、「それは違うだろう」と思います。

賢治の父親への対し方からわかるように、権威をもつ人に批判的な気持ちが強くても、権威をもつ人を全面的に否定する訳ではなく、一面では、権威を尊重するという姿勢をもっています。しかし、上位のものの権威を借りて、下積みの者を踏みつけるといったやり方を賢治は徹底的に嫌う人です。

フォーラムの投稿欄の69(http://www.g-search.or.jp/kenji/forum/contribute.html#60)には、村田公平さんという方が、「雨ニモマケズ」のモデルになっているのではという説のある斉藤宗次郎さんについてかなり詳しく書いてくれています。斉藤宗次郎さんは、花巻でひどい差別を受けながら、めげずに信仰を貫いたクリスチャンです。私も、「雨ニモマケズ」には、斉藤宗次郎さんのイメージが投影しているのではないかと感じています。

また、賢治が理想とした生き方のイメージを書いたものの別の例には、「春と修羅」第3集の「野の師父」という詩があります。ちくま文庫の全集2に入っています。これをbanさんはどう読まれますか。


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