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(187)十年程前、「ひと」という雑誌に宮沢賢治の特集が載っていたとき、少しうろ覚えなのですが、「賢治は、『地球の歴史の中で一番恐ろしい時代は白亜紀であった。このときの悲しい記憶が我々の中に残っている。この記憶をなくさないと、戦争や争いはなくならない』と語った」という意味の部分がありました。 私は、この文章を、”私たち人類は、人類が出現する前に地球上に生きていた生命体の遺伝子を引き継いでいるから、白亜紀に私たちのずうっと祖先に当たる生命体が経験した体験・記憶も今の私たちの遺伝子に刻まれている、ということなのだな。 白亜紀って恐竜がたくさん絶滅した時らしいし、そんな環境にあわせて生き延びなければならなかったのはとても大変だったろうし・・・”と我流に解釈しました。 (引用した文章と、私の解釈に誤りがあったら教えてください。) けれども、賢治は「遺伝子」なんてものも知られてなかったあの時代に、どうやってこんな確信ある考えを獲得したのでしょう? 最近わたしは、法華経の生命論・宇宙論にふれて、その深み・説得力に圧倒されたのですが、やはり、お経をあげたりしているときに実感したのでしょうか? (ブロッコリ) A Date: Fri, 29 Sep 2006 猫さん
東京の大きな図書館にいって,最新の資料を
しらべたようですが,膨大な資料のなかから
どうやってぬきだしたのか,時期的に入手は無理
ではなかつたか疑問があります。
花巻の宮沢賢治イーハトーブ館にいくと賢治が
どうやって最新の科学情報を知りえたかという
論文があります。
遺伝子の働きが科学的に見いだされたのが何年頃かはわかりませんが、賢治は花巻農学校の教師をしていた当時、肥料学の講義で細胞の内部の解説を生徒にしています。
なかでも細胞核の中心にある”仁”(核小体)についての話が興味深いです。
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