Q(19)私は、教育実習に行くことになり、賢治の作品をもう一度読み直しております。 しかし、”永訣の朝”については(これを教えるのですが)よく分からないことがたくさんあって、少し困っています。 とし子が死ぬことを悲しんでいるようにも、祝福しているようにも思えるのですが、どのように解釈すればよいのでしょうか? わたしは、祝福しているように思うのですが・・・。(ちえさんより)
A Date: Thu, 22 Jul 2004 あみさん Date: Fri, 19 Feb 1999 中村 恵美さん Date: Mon, 15 Feb 1999 yodakaさん Date: Fri, 23 Oct 1998 八周三千彦さん
Date: Thu, 22 Jul 2004 あみ
最初は、としの死から心から悲しんでる様子が「びちよびひよ」などから感じられるけど最後には、賢治はとしの死から悟りを開いたようにとしの「自分の事じゃなくてみんなの事で悩めるように」と言うとしの思いからこれからの自分自身の生き方を前向きな考えかたにかわったと思う。
Date: Thu, 30 Mar 2000 羅青
私も、とある教育機関で教鞭をとっている者ですが、賢治愛好家の一人として、自分なりの意見を述べたいと思います。『永訣の朝』に対して「祝福」ととるか「悲哀」ととらえるか、というご質問ですが、結論から述べれば、「精一杯祝福してあげようとしている深い悲しみ」だと思います。トシ子は家族の中で一番の賢治理解者でありました。賢治は、上京して国柱会という日蓮宗新興宗教に入信し、印刷工の活字拾いの生活をしていました。無論、家業を継がせようと腐心していた父親に無断で上京したのです。そんな時、トシ子の危篤電報を受け取った賢治は、己の強い上京の意志をかなぐり捨ててでも、トシ子の元へ駆けつけたかったのです。そこには兄の妹への愛情を超えたもの、人によっては「恋愛感情」などと低次元な現代風の批評がありますがそうではなく、もっと「奥深い人間愛」に近いものと捉えたほうが賢治理解としてわかり易いと思います。『永訣の朝』のあと、即ち「トシ子の死」後に、賢治は北国を旅しています。魂は北へ、という考えあってのことです。トシ子の魂を最後まで見送りたい、という強い愛情が感じられてなりません。
Date: Sun, 19 Sep 1999 きょうこ
賢治はとしこの死をとても悲しんでいます。死別の悲しみ(怒りに近いもの)を、としこが死後美しく清らかな宇宙の原子の一部になり、再び生まれ変わると信じることで、のりこえようとしたのだと思います。
Date: Fri, 19 Feb 1999 中村 恵美
初めまして、中村です。 教育実習をキッカケに再読するとはなかなかです。わたしも実習にゆきましたが、あなた程の熱心さはなかったように思います。
Date: Mon, 15 Feb 1999 yodaka
賢治は、銀河鉄道への旅に出る妹トシを祝福しているようにも解釈できます。この世で病気(不治の病)などで苦しむよりは、パッとその苦しみ(宿命)が消えて、新しい命として転生できるものと信じていたのではないでしょうか?「天上のアイスクリーム」という表現があるのも、そういう思想が根底にあるからだと思われます。現世から去っていく妹の死を悲しまないお兄さんは、一人としていないでしょう。
Date: Mon, 7 Dec 1998 ミッフィー
私も教育実習で永訣の朝をやりました。私は賢治の妹と死に別れる悲痛なまでの悲しみと、そして賢治の願いが込められていると思いました。宗教を持っている賢治ですが、いざ最愛の妹と死に別れるとなると辛くなってしまい、信仰と悲しみの間で苦しみながら、自分の願いや思想を込めているのではないでしょうか。
Date: Fri, 23 Oct 1998 八周三千彦
私見ですが、、、 私が「永訣の朝」を初めて読んだときの感想ですが、言葉にならない程の「妹への愛」を感じました。悲しみも、祝福も、その底辺にこの妹への愛が有るのではないでしょうか? (答えになっているかは不明です)
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