Q(20)宮沢賢治は『猫』という短編で、「私は猫は大嫌ひです。」と書いています。私は、『どんぐりと山猫』や『猫の事務所』など、猫どもの登場する作品が大好きなのに、この点(猫嫌い)が理解できません。賢治さんの猫嫌いのルーツを知る手がかりとなるような、手紙や雑文が残されているのでしたら教えて下さい。(ヤマネコさんより)
A Date: Mon, 11 Oct 1999 石湊 亮海さん Date: Tue, 28 Jul 1998 もとえともさん
えーとその事に関しての私の意見は、多分その「猫」は哺乳類のそこらにいる猫ではなく、賢さんのお父さん、政次郎さんの事を指していると思います。賢さんと政次郎さんは考えが対立していましたよね。それで家出上京など反発行動にでています。『見ると吐き出したくなる』とか、『大嫌い』という言葉は父親に対してのものではないかと思います。でなければ、「どんぐりと山猫」や「猫の事務所」に重要な役に猫を持ってこないと思います。
初めまして。え〜と、私は賢さんは猫嫌いではないと考えています。この『猫』という短編でいう猫は賢さんのお父さん、政次郎さんの事を言っているような気がします。もし本当に猫が嫌いなら、作品中に猫を悪役として出すと思います。それか全く出さないと思います。「ゴーシュ」でも「どんぐりと山猫」でも猫は結構重要な登場人物(動物?)だと思います。だから『吐き気がする』とか『大嫌いだ』と言っているのはお父さんに対しての反感ではないでしょうか。
そういえば賢治さんの親戚で猫を飼っている人は お見掛けしませんね なんとなくだと思います 七面鳥鶏はいました 旅行することの多い人達だったからかもしれません
この質問には、ますむらひろしが「イーハトーブ乱入記」(ちくま新書)で答えています。ますむらさんの答えは「賢治が猫をきらいなわけはない」です。が、「ならば好きなのね」と短絡できない複雑な賢治のきもちが、猫の登場人物で原文に忠実に描こうと骨を折ったますむらさんならではの洞察によって解きあかされています。愛すべき窯猫は賢治本人なのではないかとか、セロ弾きのゴーシュにでてくる三毛猫は・・・など、要約してしまうとつまらないので、本文を読んでみてください。私はますむら説に説得されてしまいました。
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