Q (244) 「銀河鉄道の夜」についての質問なのですが、どうしてジョバンニだけ「ほんとうの天上さえ行ける切符」を持っていて、ほかの乗客やカムパネラはそれを持っていないのでしょうか?そしてなぜ、その切符を誉められてもジョバンニは喜ばず、顔を赤くして、きまり悪がっているんでしょうか?いったい宮沢賢治は、この一連の描写を通じて何が言いたかったのだと思いますか。(ドイツの尋常一年生)

A
Date: Sun, 21 Dec 2008  ぜんまいきつねさん

Date: Thu, 11 Mar 2004  セールすマンさん

Date: Tue, 24 Feb 2004  ドイツの尋常一年生さん

Date: Tue, 24 Feb 2004  悩むセールスマンさん

Date: Fri, 20 Feb 2004  ドイツの尋常一年生さん

Date: Wed, 18 Feb 2004  セールスマンさん


Date: Sun, 21 Dec 2008
  ぜんまいきつね

はじめまして。なぜジョバンニだけ本当の天上でもどこでも行ける切符だったのか、その理由は物語の最後に分かります。簡単に言えば、「生きているかぎり、無限の可能性がある」ということをほのめかしているのです。


Date: Thu, 11 Mar 2004
  セールすマン

こんにちは。好きなカンパネルラとの間に割って入って来た鳥飼の人を邪魔に思った反面、そんな態度が変だと分かっているせいではないでしょうか。(短絡な解釈かな…)もともと孤独なジョバンニが、いつも親切で好意的なカンパネルラがそばにいるので浮かれたのでしょうね。孤独は人の自立心を育てないものです。その未熟さゆえにジョバンニは嫉妬に苦しんでいるようです。


Date: Tue, 24 Feb 2004
  ドイツの尋常一年生

セールスマンさん、いろいろとありがとうございます。 でも、どうもすっきりしないのです。このさい、ブリカニロ博士は忘れてしまってもいいのではないですか?確かに、その思想は重要でしょうが、賢治がその存在を物語から消してしまったのは、なにか訳があるのでしょう。それに、ジョバンニがきまり悪がっているのは、切符の場面が最初ではないのです。鳥を捕る人とはじめに出会った場面でも、ジョバンニは「どこまでもいくんです」と言って、きまり悪がっているんです。何故なのか、よくわからないんですよね。


Date: Tue, 24 Feb 2004
  悩むセールスマン

こんにちは。質問と違う答えをしたみたいでごめんなさい。切符はブルカニロ博士が渡したものですよ。そのなかにコインも入っていました。初期稿の最後を読むと分かります。ではブルカニロ博士の実験の意図はなんだったのでしょう。賢治は「どの宗教がほんとは正しいのか科学的に判明できるときが来る」ことをどこかに書いていました。また、心象スケッチの「ある心理学実験のため」の「ある」とはそんな意図を込めているんじゃないでしょうか。「ある」とは「妙法蓮華経」と関係ありそうです。切符に書いてある十字はきっと梵語の文字でしょう。この切符を切っ掛けに今まで嫌いだった鳥飼に誉められて(だからきまり悪かったのでしょうね)ジョバンニはあることに気づきました。そのあと「ほんとうのしあわせ」という言葉が出てきます。どこまでも行ける切符をもてるのは三次元空間から来た(死者でなく)ジョバンニだけであるということかも知れません。カンパネルラを失ったとき現実になりました。死者は行く場所に行くだけなのです。物語の最後にジョバンニがブルカニロ博士に誓うあの言葉にこの切符の意味が込められていると思います。”賢次が夢想した「共同性」”は不勉強のため知らないで、それに合わせた文章は書けませんでした。ごめんなさい。


Date: Fri, 20 Feb 2004
  ドイツの尋常一年生

セールスマンさん、ありがとうございます。 しかしこれでは、どうしてジョバンニがきまり悪がっているかの答えになっていませんよね。ジョバンニの心像世界だから、ジョバンニだけ特別な切符を持っているというのは、賢治が夢想した「共同性」と矛盾するのではないのですか?
問題は、ジョバンニだけが意識的にせよ、無意識的にせよ、ほかの登場人物とは違ったものを求めているということです。それが何なのかが答えではないのですか?


Date: Wed, 18 Feb 2004
  セールスマン

こんにちは。
初期の銀河鉄道の夜の設定はブルカニロ博士が行った被験者ジョバンニに対するある心理実験という事でした。これは心象スケッチの「ある心理学的な仕事」とも関係あると思います。ジョバンニの特別な切符はこの世界がジョバンニの心象世界で起きているからです。これはわたしの推測ですが、彼の心象世界はそのまま魂(生命)の世界まで落ちて行って(上がって行ってかな?)死者の魂(生命)と交流したということではないでしょうか?これが有機交流電灯ってやつではないかと思います。


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