Q (251) こんにちは。ノエルです。早速ですが皆さんに質問があります。
皆さんは宮沢賢治さんの童話「オツベルと象」をしっていますか?私の質問はその童話で、宮沢賢治さんはどんなことを人々に伝えたかったのでしょうか?また、どんな気持ちで書いたのでしょうか?
わたしは、宮沢賢治さんの作品が好きで好きでたまりません。 このHPを見つけたとき、すごくうれしかったです。 どうか皆さん教えてください。 わたしは、もっと宮沢賢治さんに近づきたいです。 よろしくおねがいします。(ノエル)

A
Date: Tue, 26 Oct 2004  岡村美里さん

Date: Tue, 25 May 2004  フラドのガコブタさん

Date: Fri, 21 May 2004  セールスマンさん


Date: Tue, 26 Oct 2004
  岡村美里

 (長い話になりますが…)『オツベルと象』のテーマについては諸説あります。

 まず「資本家と労働者」という考え方。この作品が発表されたのはプロレタリア文 学盛んな頃、労働争議・小作争議も共に増加傾向にある時期です。白象をこき使うオ ツベルと、こき使われる白象は、確かに資本家と労働者の構図。ただ、なぜ白象はオ ツベルに反抗しなかったか、なぜ象の色が白である必要があったか、という疑問が残 ります。

 そこで「資本家と労働者」説以上によく言われるのが、「ジャータカ」説です。 ジャータカとは仏の前世物語であり、「仏は遠い過去において鹿や兎など様々な形で 生を受け、衆生を救うために我が身を犠牲にして苦行を修めた結果、現世で仏になっ た」という内容です。インド・タイ方面では白象といえば神の御使い、仏教において も特別な存在。「ジャータカ」説では、白象はオツベルを救うために現れた仏の前世 である、とされます。
 しかし『オツベルと象』では、白象は挫折してしまうのです。白象はオツベルを救 う(改心させる)為、ひどい仕打ちに耐え続けます。そうすることで、オツベルに 「おまえの生き方は正しいのか」と無言で問いかけ、悟らせようとしているのです。 しかしオツベルは改心せずに、白象は疲れ果てとうとう仲間に助けを求めてしまうの です。その結果が、オツベルの死。仏は他人を救ったので自分も救われた(仏になっ た)のです。しかし白象は、オツベルを救おうとして救えなかった……つまり、自分 自身も救われないことになります。
 賢治は日蓮宗の熱心な信徒でした。仏教者であった賢治は欲望を断ち切ろうとし、 しかし同時に近代人でもあった彼は欲望(自我)を捨てることは出来なかった(賢治 はこの作品が発表される半年以上前、恋愛感情を清算しようと葛藤しています)。挫 折してしまった白象の姿は、賢治の姿と重なります。あるいは、オツベルも賢治の一 部だったのかもしれません。

 なお、「資本家と労働者」説にしろ「ジャータカ」説にしろ、オツベルの屋敷の百 姓達は、あくまで脇役です。彼らは「労働者」でもあるし「白象が救うべき衆生」で もありますが、メインとなるのは「オツベルと象」なので、作品の中心にいる存在で はないと捉えて良いと思います。

 作品のテーマについて作者がどこまで意識しているかは分かりませんが、文学作品 とは幾つものテーマが絡まりあっているものではないでしょうか。『オツベルと象』 は、「資本家と労働者」という形をもった「挫折した仏」の話であると私は考えてい ます。

 ちなみに『オツベルと象』が掲載されたのは『月曜』という雑誌の創刊号(1926年1月)ですが、この雑誌の購読者は大人なんです。『オツベルと象』は、童話でありながら子ども向けのお話ではないのです。


Date: Tue, 25 May 2004
  フラドのガコブタ

下のセールスマンさんのお答えにはいろいろ間違い(誤記や誤字など)があります。失礼とは思いますが、誤ったことが通用しても困りますので、記しておきます。 「逸話」はたぶん「寓話」のつもりでしょう。「白像」はもちろん「白象」ですよね。「グララアガア、グララアガア」と叫ぶのは、救援に来る象の群のほうで、助けを呼ぶ白象の声ではありません。北方某国のたとえも、この場合適切とは見えません。現に事件の渦中にある方々のことを思えば、はなはだ軽率で軽薄な発言ではないでしょうか。
ここは「Q&A」の部屋で、気軽な掲示板やチャットの場ではなく、いいかげんな解答は、真摯な質問者に対して失礼です。解答にあたっては、おたがいによくよく気をつけましょう。


Date: Fri, 21 May 2004
  セールスマン

こんにちは。これは逸話(いつわ)だとおもいます。巧みにだますオツベルと騙され利用され搾取された白像という話です。資本家が労働者を搾取する封建主義から資本主義へ変わった頃の話を思い出させます。賢治さんの頃はそんな時代だったのかも知れません(よくわかりませんが)また現在某北の国に拉致された日本人も今この窮屈な白像のように「ぐららーがーぐららーがー」と助けを待ってているでしょうね。某国も封建時代から次の時代に移り変わる時期に来ているはずですから(だといいのですが…)
ちょっと話がずれてました。すみません。


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