Q (254) こんにちは。
「永訣の朝」では賢治の妹が「トシ子」となっていますが、 本名は「トシ」ですよね。 この違いはどこからくるものなのでしょうか。 ご教授いただければ幸いです。(かとたか)

A
Date: Thu, 3 Jun 2004  フラドのガコブタさん

Date: Wed, 2 Jun 2004  shunさん


Date: Thu, 3 Jun 2004
  フラドのガコブタ

辞書などでしらべてみると、女性の名前に「子」が付くのは、江戸時代から明治後期までは、皇族とか貴族といった身分にかぎられ、一般の女性では、ハナとかフクとかマツといった具合に仮名二文字の名前が普通だったようです。親愛の気持をこめて呼ぶときは、前に「お」を付けて、おハナとかおフクとかいいました。それが、明治の中頃から、親愛の気持をこめて後に「子」を付けて呼ぶことがはやりはじめ、明治末年には、しだいにそれが一般化するとともに、戸籍にもはじめから「子」を付けて届けるようにもなり、大正、昭和期には、「……子」さんが、圧倒的多数でした。(近年は減ってきたようですが。)
賢治の妹たちは、明治31年〜40年の生まれで、戸籍の上では「子」のない「トシ」「シゲ」「クニ」でしたが、親しみをこめて「お」をつけて呼んだり、「子」を付けて呼んだりしたようです。たとえば詩「青森挽歌」では、シゲさんのことが「おしげ子」として、両方付いたかたちで出てきます。


Date: Wed, 2 Jun 2004
  shun

かとたかさんこんにちは。
確かにトシが本名ですが、賢治をはじめ、ご家族や級友の方々は日頃親しみをこめて「とし子さん」と呼んでいたことは各種記録からも明らかです。 最愛の妹が亡くなった悲しみの心情を表すのに、あらたまって本名で呼びかけるよりも、いつも呼んでいた愛称の方がよりふさわしいと思いますし、おそらく賢治もほとんど意識しないまま「ああとし子」と書いたのではないでしょうか。
ちなみに私の70になる母親も戸籍上の名はシゲですが、田舎に帰るとみんなからシゲ子さんと呼ばれてます(笑


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