Q (271)初めまして。ハルと申します。高2です。「永訣の朝」について、いくつか疑問点があるので、書き込みました。
1、賢治はなぜ、「これらふたつのかけた陶椀に」「ふたきれのみかげせきざいに」「おまへがたべるこのふたわんのゆきに」というように、2にこだわっている?のでしょう。また、雨雪をとる椀に関しては、ひとつでいいと思いますし、後に「そらからおちた雪のさいごのひとわんを……」と1つに戻っているのも気になります。
2、この詩は(賢治の詩の多くにも言えるかもしれませんが)平仮名が多いような気がします。だからといって使われている漢字は難しいものが多いですし。この表現方法は何を表しているのでしょうか。

「永訣の朝」と「松の針」を読んでの読書感想文を書こうと思っています。ただ、なかなか視点が決まらないというか、どこに重要なテーマを持ってくるかに迷っています。何かアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。(ハル)

A
Date: Thu, 18 Sep 2008   やまっちさん

Date: Fri, 4 Mar 2005   Kimkimさん

Date: Sun, 1 Aug 2004   りんさん


Date: Thu, 18 Sep 2008
   やまっち

今初めてこのHPを見ました。もう卒業されてますね^^;
私の解釈ですが、2は賢治とトシを表していると思います。 「ふたつのかけた陶椀」を持ち出したのも、トシと離れたくない(ひとつだけを持ち出してトシが亡くなった場合の心情を考えるとわかりますね)思いの現われでしょう。 途中1度だけ「ひとわん」と書かれますが、その後にのみ「・・・。ラ、ャヘム、、、蕕譴討い襪海箸C蕁◆・・・、マクタヘユ、ヒ、ハ、蕕覆と瓩靴澆伐鮗瓩靴討い泙后砲笋呂蟲せC舛魯肇靴伴i「裡欧砲海世錣辰浸蹐世隼廚い泙后

さて、ひらがなですが、前述の紀貫之が『土佐日記』でひらがなにこだわったのも、ひらがなの持つ繊細で優しく、やわらかいイメージだったように、賢治がひらがなを多く用いたのも妹トシの繊細で優しいイメージを表したかったからでしょう。 トシのセリフが1つを除いて(その1つがなぜローマ字なのかはまた解釈がありますが)すべてひらがななのはそのためだと思います。
読まれない書き込みかもしれませんがw
やまっちさま 一部、文字化けして受信しました。おそれいりますが、もう一度編集部に直接送信していただけますか?


Date: Fri, 4 Mar 2005
   Kimkim

1年も経ってから答のメールですいません。暫くぶりで開いたものですから。 (1)2にこだわる理由と,(2)ひらがなを多用していることへの疑問ですが,(1)については,何かと対峙しているときの精神状態を,自分と対峙する他の存在の2者に喩えているのではないかと想像します。「さいごのひとわん」については,単純に2わんあったら最後はどちらのわんなのか分からなくなるので,さいごを表すには「ひとつ」しかなかったのだと思います。
(2)については,りんさんの解釈が素敵だと思います。白い和紙に書かれた墨絵を彷彿とさせます。あと,古今集の冒頭に紀貫之が書いている「かな序」が心の奥にあったのかもしれません。「やまとうた(和歌)は ひとのこころをたねとして よろづのことのは(言の葉)とぞなれりける〜」と,200文字ほどの序文ですが,一種の魔力のようなものを感じても不思議ではないような中身ですから。
どんな感想文に仕上がったのかは分かりませんが,きっと素晴らしい内容だったでしょう。賢治自身の生命と,他の存在(人,動物,物)の生命とのしがらみという観点から読んでみると面白いかもしれません。
ただ,一日に玄米四合を平均的に食べることができたのですから,貧困から来る生命への落胆というものは,決して無かったであろうと思っていますし,それだけに生命そのものへの純粋な探求心があったのではないかな,と思います。みんな想像ですが。


Date: Sun, 1 Aug 2004
   りん

個人的な意見で恐縮です。一案として考えて下さい。 ひらがなで書かれているのは漢字に視点をおきたいからではないでしょうか。雪とか水などこの作品は透明性やにごっていないものを想像します。あと方言が混じっている点が私は好きです。ハルさんの考えから私も疑問を持ちましたが、賢治の作品は難解なものばかりなので私の考えははっきりとした答えではないと思います。読書感想文頑張って下さい。


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