Q(28)私は大学の卒論に差別表現について書きたいと思っています。特に障害者についての差別表現を取り上げて書こうと思っていますが、賢治の作品で差別に関して考えている表現があるかどうか知りたいのですが、私の読書量では少ないのでまだまだ知らないことがたくさんあります。皆さんの知っていらっしゃることでどんなに小さいことでも構いませんので教えて下さい。(梨影さんより)
A Date: Thu, 18 Sep 2008 やまっちさん Date: Sun, 13 Jun 1999 注文のない飯屋さん
私は「よだかの星」に差別を感じます。
またまたレスします、ねこです。 「虔十公園林」について、青嵐さんからコメントが ありましたが、虔十は決して白痴としては描かれていないと 思います。 むしろ、いわゆる”健常者”(これもいやな言葉ですが)の 気づかない世の中の大事なことが分かっていた”賢人”とし て、世渡りの上手な人などの「小賢しい人達」への批判を込 めて描かれているのだと思います。 それは、アメリカで教鞭をとっている教授の言辞によく現れて います。 賢治の作品の本質を理解することは難しいですね。
私は、今短大の卒業研究で「猫の事務所」を調べていますが、 その中に登場する竈猫(かまねこ)は、周りの猫達から差別され、イジメられています。これは、竈猫がいつも竈(かまど)で寝てしまい、その為、すすで汚れて狸みたいになっているのが原因なのです。 何故、竈で寝るかというと、猫の皮が薄く、寒さに弱いためです。 また、「本来は何猫でもいいのです。」と言う文も出てきます。 しかし、これは何差別なのかよく分かりません。生まれつきの性質という点では、障害者差別というような気もします。うーん、でも貧困による差別や、同和地区問題というのもあるし・・・ あまり役に立てなくてスミマセン(;;)
宮沢賢治の作品の中に、現代では差別表現とされる表現が稀にあることは確かですが、そのことで賢治の作品の素晴らしさに大きな影を落とすほどのことは私はないと思っています。 賢治の作品のあら捜しをするのは勝手ですが、賢治の作品全体への非難につなげるようなことは決してしないようにお願いします。
「オツベルと象」では、「どいつもみんなきちがひだ」という 表現があります。(原文のままなので、この表現で失礼 します) また、「けん十林公園」(済みません、字を忘れました)には 主人公を白痴として描き、「どんぐりと山猫」では馬車別当を 足が悪く、また、白痴としても描いています。
Date: Sun, 13 Jun 1999
注文のおおい料理店で都会の金持ちを差別的に表現している。最近の日本人は、発展途上地域に行き、同じような事をしてます。
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