Q (317)宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」には 「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」 とあります. 文脈からは控えめな粗食と読めますが,量が多くないでしょうか? 宮沢賢治はほんとうはなにをどのくらい食べていたのですか? ご存知の方がいましたらおしえてください。(みなみ)

A
Date: Mon, 27 Jun 2005   ハロ助さん

Date: Mon, 27 Jun 2005   けんちゃんさん


Date: Mon, 27 Jun 2005
   ハロ助

小食の比喩と解釈しましょう。当時の食事情も絡めて、Wikipediaに詳しくありました。以下、Wikipediaより引用です。
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一日に四合とは量が多すぎるという論難がある。しかし、当時の日本は、わずかな副食物で大量の米飯を摂取する食生活であった。一例として、当時の日本陸軍の規定では、一回の食事につき、主食として三食とも麦飯二合、副食として朝食は汁物と漬物、昼食および夕食は、肉や魚を含んだ少量のおかず一品(献立例をあげると、「アジフライ一枚に塩ゆでキャベツ」)と汁物および漬物である。このことより当時の日本の副食物の水準では一日に米飯を六合摂取しないと肉体労働に必要なカロリーを供給できないことがわかる。ところが、「雨ニモマケズ」では、兵役と同様の過酷な肉体労働を想定している生活環境で、副食としては三食とも汁物と漬物程度であり、日本陸軍より更に質素である。現代の食生活から見れば玄米四合は健啖家との印象を受けるが、当時の観点から見ると、これは小食の比喩として解釈すべきであろう。

なお、戦争中から戦後にかけての文部省の国定教科書では、当時の食糧難から「玄米四合」を「玄米三合」に改竄して掲載していた。


Date: Mon, 27 Jun 2005
   けんちゃん

農民よりもかなり良い物を食べておりました。親の援助で。


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