Q
(380)第二次世界大戦後宮沢賢治の作品はアメリカ占領軍
から暫く発禁扱いとされていたと聞きましたが,
その理由や,どの作品のどの部分が問題となったか,
その後どうなったかなどを教えてください。 (猫) A Date: Tue, 30 Sep 2008 のらねこさん
推測ですが、宮沢賢治は日蓮宗の一団体である国柱会の熱心な会員であり、田中智学の「八紘一宇」の考えには当然賛同していたと思われます。満州事変を画策した石原莞爾も同会の会員です。
このことからGHQは賢治の思想を誤解して危険思想とみなしたのではないのでしょうか。
じゅんさんから回答をいただきましたが,
納得できません。
アメリカ占領軍は終戦後,共産主義は容認していた
のです。したがって,宮沢賢治のその他の思想を
危険視したとおもいます。たとえば反肉食や
反ニヒリズム,自然との共生等だと思います。
僕も詳しくは知らないのですが、戦後、「注文の多い料理店」が復刊されたときに、「烏の北斗七星」が「軍国主義を連想させる」と言う理由で削除されたことがあるそうです。
論文『農民芸術概論』序論の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」などの考え方が共産主義的な思想と見られたのではないでしょうか?
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