Q(3)私はもっと賢治宮沢の住んだことがあったところをもっと知りたいと思います。彼は東京でも住んだことがあったそうですがいつですか。また彼は外国に行かなかったのになぜそんなに外国のことを知っていたでしょうか。(larry souleさんより)
A
Date: Wed, 4 Oct 2006 テナさん
Date: Fri, 29 Sep 2006 猫さん
Date: Tue, 11 Mar 1997 kawaiさん
Date: Wed, 4 Oct 2006 テナ
こんにちわ
あなたの質問で、宮沢賢治は
本などで、外国のことを
知ったんですよ!(^v^)
それから、ざしき童子の話、グスコーブドリノ日記、
セロ弾きのゴーシュ、などの宮沢賢治が書いたこの本
のあらすじをっしっていたら教えてください
Date: Fri, 29 Sep 2006 猫
1921年に東京にいっています。
外国のことは書物で勉強したと
考えられますが,インターネット
もないのに最新の科学情報を
どうして知っていたのかなぞです。
Date: Tue, 11 Mar 1997 kawai
はじめまして。どの程度お役に立てるかわかりませんが、宮沢賢治の東京在住と海外の知識について調べてみました。
- ●宮沢賢治の東京在住について
- 1917年1月4〜7日(21歳) 父の商用のため上京
- 1918年12月〜1919年3月(22歳)
- 妹トシ(日本女子大学校学生)が入院したため、母とともに看病のため帯京。
この間、帝国図書館(上野)にしばしば足を運ぶ。
トシの病状回復に伴い、家族そろって帰郷。
- 1921年1月23日〜8月(25歳)
- 家出し、東京の国柱会館に行くが滞在を断られたため、知人宅に仮泊後、下宿を探して落ち着く。8月、トシ病気のため花巻に帰郷。
- 1923年1月(27歳) 弟清六を訪ねて上京。
- 1926年12月2〜30日
- 図書館、楽器(ピアノ、セロ)練習、観劇を楽しむ。
- 1928年6月(32歳) 美術館、図書館、観劇等を楽しむ。
- 1931年2月〜9月(35歳)
- 東北砕石工場と契約し、技師・セールスマンとしてあちこち(東京も含む)を転々とする。
- ●宮沢賢治の海外の知識について
- 宮沢賢治の作品には、西域(インド〜中国)の雰囲気を持つ作品が多く見受けられます。これは、賢治が法華教に心酔していたことから来るものでしょう。当時は西域調査が活発に行われていたこともあり、上京の際に寄った帝国図書館ではそういった図書が豊富にあったはずです。
また、地方に住んではいたものの、十代から身近なクリスチャン(外人)との交流があったり、海外の哲学書や文学を読んでいたということであり、こういったところから海外の知識が積み重ねられたのでしょう。
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