「種山ケ原」と剣舞、山男

「種山ケ原」「原体剣舞連」と「風の又三郎」
 「種山ケ原」という物語では、小学生の達二が種山ケ原に出かけ、逃げた牛を追ううちに天気が急に変わり、道がわからなくなり気を失ってしまい、探しにきたお兄さんに助けられる。
 この話は、後に「風の又三郎」にとり入れられ、嘉助が逃げた馬をさがしにいく場面になる。
 「種山ケ原」の達二は、気を失って剣舞の夢をみるが、この箇所で、「ダー、ダー、ダー、ダー、ダースコダーダー」という「原体剣舞連」とほぼ同じ詩句が出てくる。
 「風の又三郎」では、倒れた嘉助の夢の中には、ガラスのマントを着た風の又三郎が現れる。
 夜の鬼神を招きよせ、少年たちの初々しい舞が北上山地の自然のエネルギーを渦巻かせる剣舞は、魅惑的であるとともに、死とも近しいカオス的な力をもつと賢治は感じていたのだと思われる。風の又三郎も、同様の特性を帯びているのだ。
種山ケ原の風土と気象  「種山ケ原」の物語は、「種(たね)山ケ原(はら)といふのは北上(きたかみ)山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩(じゃもんがん)や、硬い橄欖岩(かんらんがん)からできてゐます。」という書き出しではじまる。この高原には、春から夏の4ケ月は、北上のあちこちから馬が連れてこられ、ここの部落の人たちに預けられ放牧される。しかし、この4ケ月の間も、半分は霧や雲にとざされている。なぜかというと、「実にこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気(しっき)のお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつでももうすぐ起って来る」からだ。
 このように、冒頭でまず種山ケ原の地質と風土が物語られ、穏やかな天候の時には美しい種山ケ原の、気象の不安定さが強調される。
気を失った達二の夢に現れる剣舞  夏休みも間もなく終わり、明後日から学校が始まるという日に、達二はこの夏休みにいちばん面白かったことのひとつ、みんなと剣舞を踊りに行ったことを思い出している。達二は、お母さんに呼ばれ、上の原の上り口で草を刈っているお兄さんとおじいさんに、弁当を届け、ついでに牛を連れていき、草をたべさせてくるように頼まれる。弁当を受け取ったお兄さんは、「善(ゆ)ぐ来た。今日ぁ午(ひる)まがらきっと曇る。 俺(おら)もう少し草集めて仕舞(しむ)がらな、此処(ここ)らに居ろ。」と言う。ところが、雲が出てきてだんだん風がくると、牛が突然逃げてしまう。達二は夢中で追いかけたがそのうち道がわからなくなり、空が暗くなり、冷たい風が吹いて霧が出てくる。霧の中に家の形の大きな黒いものが見えて、近寄ってみると大きな黒い岩だったりして、達二は追いつめられた気持ちになる。「伊佐戸(いさど)の町の、電気工夫の童(わらす)ぁ、山男に手足ぃ縛らへてたふうだ。」と誰かが話していた不気味なことばが、耳に聞こえてくる。それから、達二は気を失ってしまい、剣舞を踊りにいった時の夢をみる。
 「ダー、ダー、ダー、ダー、ダースコダーダー」と叫び、大人たちが太鼓を打つ。少年たちが二つに分かれ、剣をカチカチ言わせている所に、青仮面が出てきて、よろよろしながら跳ねまわる。------
 そのうちちょと夢からさめてふたたび、「伊佐戸の町の電気工夫の-----」という言葉が聞こえてきて、再びうとうとしていると、今度は夢の中で、楢の木の後ろから山男が出てくる。山男は気弱だが、達二がいきおい込んで争いになり、達二は剣で山男をズブリと刺して殺してしまう。ここで、雷が激しくなり、達二は夢からさめて、お兄さんに助けられる。
カオス的な自然と山男/鬼神  この物語では、気候の急変によって危険な相貌をあらわす種山ケ原と、達二が強く惹きつけられている剣舞とが重ね合わせられている。鬼神や自然の荒々しいエネルギーを招き寄せる剣舞も、魅惑的であるとともに危険なカオス的な力をもっている。山男は、剣舞の場に招かれる鬼神や青仮面と結びついているのだ思われる。達二が山男を刺した所でお兄さんに助けられるのも、自然のカオス的な力の誘惑から逃れることで窮地を脱したためなのだろう。
 ここでの達二と山男の関係は、「祭の晩」における亮二と山男の関係とはかなり違った性格をもっている。賢治の物語では、自然と少年の関係についてもさまざまな相が描かれているといえるのではないか。

ちくま文庫「宮沢賢治全集 1 〜『春と修羅』」より

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