北上川


北上川
 岩手県の地形はおおまかに言えば、東北の背骨となる奥羽山脈と、なだらかで女性的な北上山地、北上川流域の盆地とにより構成される。
 北上川は、ほぼ県内を縦断し、仙台平野をつくり仙台湾にそそぐ、東北地方の代表的な河川で、東北本線が開通するまでは水運や文化の流動の軸となっていた。
 その流域平野は、盆地というより、むしろ広い谷間を形成しており、第4紀(約200万年以降)の間氷期には、賢治が指摘したように何回か海の入り江となった。現在は上流支川のほぼすべてにダムができ、北上川は優しい顔を見せているが、賢治の時代、北上川は荒れ川であり、水難も少なくなかったという。

イギリス海岸

「夏休みの十五日の農場演習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処(ところ)がありました。
それは本たうは海岸ではなくて、いかに海岸の風をした川の岸です。北上(きたかみ)川の西岸でした。---------
イギリス海岸には、青白い凝灰質の泥岩が、川に沿ってずゐぶん広く露出し------。その泥岩層は、川の水の増すたんび、奇麗に洗はれるものですから、何とも云(い)へず青白くさっぱりしてゐました。
それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終わり頃(ころ)、たしかに海の渚(なぎさ)だったからでした。」〜ちくま文庫「宮沢賢治全集」6

河岸段丘

かつて羅須地人協会があった河岸段丘からの眺望
 羅須地人協会は、北上川を見下ろす河岸段丘の上にあった。現在の河川低地は耕地整理され、すべて美しい水田地帯となっているが、賢治が耕していたのは、きっと氾濫原の荒れた畑地であったと思われる。

賢治の河岸段丘の図式


イーハトーヴォの四季 イーハトーヴォの風景