小岩井農場と姥屋敷
姥屋敷の集落の神社。 杉の大木の樹齢は600年くらいと言う。
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岩手山山麓の小岩井農場とその周辺は、賢治が好み、何回もおとづれ歩いたところである。出版された「春と修羅」に収録された「小岩井農場」は賢治の代表的な詩のひとつである。
農場を抜けると、姥屋敷集落をへて鞍掛山に至る賢治の散策路で、詩や童話の舞台になったところは数しれない。姥屋敷は「狼森、笊森、盗森」の村だての話のモデルだと思われ、今でも人と森、動物が共生している雰囲気を漂わせている集落である。
姥屋敷小学校跡地の掲示板によると「前九年の役で安倍貞任が源義家に敗れ、貞任の姥(異母妹)が落ちのびて住んだことから地名姥屋敷が生まれ」たという。
→小岩井農場周辺の地図
詩「小岩井農場」異稿(先駆形B)
「向こうの黒い松山が狼(オイノ)森だ。実に新鮮で肥満(プラムブ)だ。
たしかにそうだ。地図で見ると、
もっと高いように思われるけれども、
たヽ゛あれだけのことなのだ。
あれの右肩を通ると下り坂だ。
姥屋敷の小学校が見えるだろう。
もう柳沢に抜けるのもいやになった。---------
霧の小岩井牧場
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いいや、つまらない。やっぱりおれには
こんな広い処よりだめなんだ。
野原のほかでは私はいつでもはヽ゛けてゐる
やっぱり柳沢に出よう
こんな陰惨な霧の中を
ガッシリした黒い肩をしたベートーフェンが
深く深くうなだれ又ときどきひとり咆えながら
どこまでもいつも歩いてゐる。」
〜ちくま文庫「宮沢賢治全集」1
狼森、笊森、盗森の名前の由来(石川文雄「我が黒坂森」より)
「狼森」は狼が横たわっている様に見えることからといわれ、「笊森」は、笊を伏せたような山だから、「黒坂森」は鬼越し坂の赤坂(赤土だから)に対し黒い土だからという。
「盗人森」**は二つの説がある。一つは、アテイルの子孫の大武丸というのが居て、中央に対し反抗し、地元では大変な人気があった。しかし、中央としては何とかしてその名を抹消しなければならなかったため、大武丸を悪の太郎とか大盗人、女・子供をさらう鬼の様な奴と大悪に仕立てた。その大武丸がこの森にいて中央に反抗したためだと言う説。
もう一つは、「西日の当たる森」が訛ったものだという説がある。西日の当たる森。確かに盗人森の当方には焼切山が横たわり、朝日の出は遅いが西の方には高倉山までは遮断するものもなく西日の良く当たる森に違いない。
**賢治の作品には「盗森」と出てくるが、地元の人は「盗人森」と呼んでいるそうで、石川さんは地元の名前を使用している。
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