北上川の右岸に並ぶ山脈は、岩手山よりずっと古い、第三紀の後期(1,300〜2,500万年前)の火山群である。鋭くとがった山並みを特徴に持っている。これらは、賢治が好きな岩頸(がんけい)の山々である。
岩頸列経埋ベキ山々 宮沢賢治は、今の言葉で云えばナチュラリストである。「楢ノ木大学士の野宿」に、山がその生い立ちを賢治に語る部分があるが、地質調査の過程で山の声を聞き、自然との共生が作品の大きなテーマとなっている。 賢治の手帳に、死後、法華経を埋めて欲しいと描かれた山のリストがある。これらの山には岩手山や早池峰などの岩手の代表的な山も含まれてはいるが、高さの低い無名の山々が圧倒的に多い。今、里山の保全が色々なところでいわれているが、それを予見するように、賢治は里山を大事にしていた。 「経埋ムベキ山」として手帳に記されているのは沼森、篠木山、岩山、愛宕山、蝶ケ森、毒ケ森、鬼越山、黒森山、上ン平、東根山、南昌山、大森山、八方山、松倉山、江釣子森山、堂ケ沢山、仙人峠、束稲山、駒形山、岩手山、駒ケ岳、姫神山、六角牛山、早池峯山、鶏頭山、権現堂山、種山、物見崎、旧天山、胡四山、観音山、飯豊森。 |
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