南昌山


南昌山

 北上川の右岸に並ぶ山脈は、岩手山よりずっと古い、第三紀の後期(1,300〜2,500万年前)の火山群である。鋭くとがった山並みを特徴に持っている。これらは、賢治が好きな岩頸(がんけい)の山々である。
 岩頸とは、古い火山が溶岩の棒だけを残し風化した、いわば火山の化石である。賢治の説明を聞こう。


三角山からの南昌山(写真提供:奧田博氏)
「諸君、手っ取り早く云(い)ふならば、岩頸といふのは、地殻から一寸頸(ちょっとくび)を出した太い岩石の棒である。その頸がすなわち一つの山である。......こヽに一つの火山がある。熔岩(ようがん)を流す。その熔岩は地殻の深いところから太い棒になってのぼって来る。火山がだんだん衰へて、その腹の中まで冷えてしまふ。熔岩の棒もかたまってしまふ。それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩れる。たうとう削られてへらされて、しまひには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るといふあんばいだ。」
〜「楢ノ木大学士の野宿」ちくま文庫「宮沢賢治全集」6


南昌山の絵図(日本名山図会)
 岩頸の山々の中で、賢治が「椀コ南昌」と呼んだ南昌山はひときわ目立つ姿の山である。江戸時代には岩手山、早池峰と共に、「名山図譜」(谷文晁画)に選ばれその個性ある姿が描かれている。

岩頸列
西は箱ヶと毒ヶ森、
椀コ、南昌、東根の
古き岩頸の一列に、
氷霧あえかのまひるかな。
(以下略)
〜「文語詩稿」ちくま文庫「宮沢賢治全集」4
経埋ベキ山々
 宮沢賢治は、今の言葉で云えばナチュラリストである。「楢ノ木大学士の野宿」に、山がその生い立ちを賢治に語る部分があるが、地質調査の過程で山の声を聞き、自然との共生が作品の大きなテーマとなっている。
 賢治の手帳に、死後、法華経を埋めて欲しいと描かれた山のリストがある。これらの山には岩手山や早池峰などの岩手の代表的な山も含まれてはいるが、高さの低い無名の山々が圧倒的に多い。今、里山の保全が色々なところでいわれているが、それを予見するように、賢治は里山を大事にしていた。
「経埋ムベキ山」として手帳に記されているのは沼森、篠木山、岩山、愛宕山、蝶ケ森、毒ケ森、鬼越山、黒森山、上ン平、東根山、南昌山、大森山、八方山、松倉山、江釣子森山、堂ケ沢山、仙人峠、束稲山、駒形山、岩手山、駒ケ岳、姫神山、六角牛山、早池峯山、鶏頭山、権現堂山、種山、物見崎、旧天山、胡四山、観音山、飯豊森。
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