種山が原
北上山地
北上山地は日本でももっとも古い地質をもっている。含まれる化石などから、はるか南方から移動してきた地塊と考えられている。
古生代には海の底で、2億5千万年から4億年前に海に堆積した地層が隆起し、侵食され平らになったもの(準平原)が、さらに隆起してできた高地である。種山が原に代表される、なだらかな丘の連なりとこまやかな谷間が特徴的である。
種山ケ原
種山が原は賢治のお気に入りの場所のひとつで、しばしば散策し、作品の中でも重要な位置をしめている。出かけてみるとなだらかな北上山地の丘を見渡す、なるほど気持ちのいい高原だ。物見山は871mだが360度の視界が開け、すばらしい眺望で、ここから岩手山、早池峰山も見える。
種山の頂上にも蛇紋岩の岩が残されている
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「種山と種山ケ原」(「種山ケ原」先駆形A)
「この高原の残丘(モナドノツクス)
こここそその種山の先端だ
炭酸や雨やあらゆる試薬に溶け残り
苔から白く装はれた
アルペン農の夏のウヰーゼのいちばん終りの露岩である--------
今日こそはこのよく拭はれた朝ぞらの下
その分岩の大きな突起の上に立ち
なだらかな準平原や河谷に澱む暗い霧
北はけはしいあの死火山の浅葱まで
天に接する陸の波
イーハトヴ県を展望する
いま姥石の放牧地が
緑青いろの雲の影から生れ出る
そこにおヽ幾百の褐や白
馬があつまりうごいてゐる
かげろふにきらきらゆれてうごいてゐる」
〜ちくま文庫「宮沢賢治全集」1
「種山ケ原」
童話「種山ケ原」で、賢治が「東の海の側からと、西の方からとの風や湿気(しっき)のお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつでももうすぐ起って来るのでした。」と書いているように、天候の急変の多い場所だ。これは雲や光や風に強く感応する賢治にとって重要な意味をもつ。
「牛ぁ逃げる。牛ぁ逃げる。兄(あい)な。牛ぁ逃げる。」
せいの高い草を分けて、どんどん牛が走りました。達二はどこ迄(まで)も夢中で追ひかけました。------
達二は、仰向(あふむ)けになって空を見ました。空がまっ白に光って、ぐるぐる廻り、そのこちらを薄い鼠(ねずみ)色の雲が速く速く走ってゐます。そしてカンカン鳴ってゐます。--------------
空はたいへん暗く重くなり、まはりがぼうっと霞(かす)んで来ました。冷たい風が、草を渡りはじめ、もう雲や霧が、切れ切れになって眼の前をぐんぐん通り過ぎて行きました。」〜ちくま文庫「宮沢賢治全集」5
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