私にとっての賢治 English

王 敏さんインタビュー

宮沢賢治にどこで出会ったのですか?
四川外国語学院で日本語を勉強していた学生時代に、日本人の先生が「雨ニモマケズ」をテキストとして使われて賢治と出会いました。そのとき私は非常に感動したんです。
賢治の作品のどこに興味を持たれたのですか?
「雨ニモマケズ」は、自己犠牲を要求する文化大革命の時代の中国の考え方ともなじみやすかった。しかし、よく読むともっと深いものがあることがわかります。それはどういうことかをよく考えているうちに、例えば「ミンナニ デクノボートヨバレ」というのは中国でいえば老子の思想に近いことがわかりました。
 このように、賢治の作品を通じて私は、文化大革命で否定された中国の伝統を位置づけ直し、改めて読み勉強するエネルギー、刺激を与えられました。
賢治の作品では、「雁の童子」、「雪渡り」「よだかの星」がとくに好きになりました。
賢治が生きていた時代は、日本が長い戦争に突入しようとしていた時代ですが、賢治の作品をよく読むと、そういう時代に対する賢治の姿勢を読みとれるように思いますがどうでしょう?
その通りだと思います。例えば「北守将軍と三人兄弟の医者」という作品は、満州事変の少し前に書かれていて、賢治は中国と日本の戦争を念頭においていたのではないでしょうか。ソンバーユー将軍は30年も笑ったことがなく、馬から降りることが出来ない。戦争のすさまじさを、そういうことで描いていると思います。最後に将軍は国の偉いポストを用意されますが、断って山に入り、物も食べなくなって仙人になった。これは戦争について考えることが必要だと、読者に教えていると思います。また、賢治は戦後の日本のことも考えていたのだと思います。この作品で描かれている将軍を治療する医者は植物、動物、人間を治す3人の医者です。戦争の傷を癒す、国を癒すことが大事であり、人間のバランス、生き物のバランスもとらなければならないと、宮沢賢治は言おうとしたのではないでしょうか。

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王 敏さんのプロフィール
  • 1954年 中国河北省承徳市生まれ。
    大連外国語大学日本語学部を経て、四川外国語学院大学院(日本文学)を修了し、宮城教育大学で宮沢賢治を研究。日本ぺンクラブ国際委員、東京成徳大学人文学部助教授。中国松江大学客員教授。
  • 著 書:「留日散記」、「幽玄なる文化の魂」、「中国人の「超」歴史発想」(東洋経済新報社、1995年)、「謝々 宮沢賢治」(1996年)
  • 訳 書:「孔雀の舞」、「中国の21世紀への基本戦略」(東洋経済新報社、1995年)など多数

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