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松井隼さんの思索社会システム設計
■ 数学
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■ 社会システム設計
『文化産業論』

『21世紀への高等教育』
 イ 異文化からのコミュニケーション
*3 知的生産性の向上という課題
 イ 情報システム化
 イ アカデミズムの問題

■ 学生時代の資料

21世紀への高等教育

ぴあ総合研究所 代表取締役 松井 隼/富士短期大学 フジビジネスレビュー Vol.3 No.1 (1992.9.1発行)

3. 知的生産性の向上という課題
イ) 情報システム化

 知的生産性の向上というテーマについて、既に企業社会によって発見されいる一つの解答は、知的生産をサポートする情報化の促進である。
 現代の知的生産は殆どの場合膨大な情報処理を伴う。文献を検索したり、科学技術計算処理を行ったり、市場情報を収集分析したり、図面を設計したり、等々。コンピュータはこのような情報処理を行う道具として使われる場面をどんどん拡大しており、しかも可能性は未来に向かってますます広がっている。
 しかしこの解答はまだ系統的に探求されたものとは言えず、その場の場当たり的対応しか行われていない。そもそも知的生産の効率向上という問題設定自体が新しいものである。
 研究者・制作者が必要とするコンピュータシステムの設計を正面から取り上げたシステム開発プロジェクトがあっただろうか。人工知能は研究者・制作者を不要な存在にすることをうたい文句としているのではないか。勿論。不要なものが不要となることにはなんの異論もない。しかし、そのことと必要な機能を強化することとは別の問題である。
 研究者・制作者を不要な存在とする情報システムを構想したひとはいる。CADなど個別の応用領域におけるシステム開発は進んでいる。しかし、研究者・制作者の活動を支援するための社会的情報システムのデザインを描いた人はまだいないのではないか。
 
 知的生産をサポートする情報システムは、知的生産という活動の本質に最も深い洞察を加えることによって始めて可能になる。
 イデアは社会的存在である。「何が良いものか」を発見する過程は「何が良いものか」についての社会的合意の形成をも問題にせざるをえない。従って、知的生産をサポートする情報システムは「何が良いものか」を探求する活動をサポートする情報システムであると同時に、合意形成の過程を対象化するシステムでもあるだろう。


ロ) 知的生産のための組織

 いまだに企業が発見していないもうひとつの解答は知的生産に相応しい新しい組織編成を行うことである。
 
 日本的経営の社員は長期雇用と社内教育制度をひとつの特徴としている。従来日本企業の知的生産性の向上を担保してきたのはこの制度であった。
 組織は教育機能をもつ時に市場における評価と異なる評価を人間に対して行うことが出来る。人間に対して投資する企業組織はその人間の現在の価値ではなく将来の価値を買うのである。(人間を教育の対象とは考えない企業も存在している。そのような企業は工場生産の原材料と同じように人間を評価する。)
 そのような評価のもたらす効果は人間の価値が現在の価値よりも将来の価値によって評価される結果通常の市場における取引よりもかなり高く評価される点であろう。我々はアルバイトと同じ仕事しかしない新入社員にたいして彼が社員であるというそれだけの理由で全く高い給料を支払っている。かれはアルバイトと同じ仕事しか出来ないにもかかわらず企業から将来高度な仕事をする能力を期待されその為の教育まで受けるのである。社員は長期に所属してその間に会社の期待に応える成果をあげればよいのである。アルバイトはそのような期待に基づく契約ではない事が暗黙のうちに了承されている。彼らは短期的に組織の制約から脱出できることを対価として低い賃金による処遇に甘んずる。
 企業組織の長期雇用理論に応える人間が存在することがこのような組織の成立する基本的前提である。かつてそのような人々が存在した。大企業の保障する生活の安定と引換えに、自分を特定の企業組織に縛りつけ、その組織の教育体系の中に取り込まれることを受け入れる人々が日本社会の大半をしめていた。
 ところが、現在の若年労働力の動向はこの要請に反発する方向に向かっている。被雇用者が長期雇用のもつ意義を無視し、短期的に長期雇用の与える経済的特典を利用するだけであれば、企業はこのような組織運営を実行することはできない。
 若者たちの反発の原因は長期雇用のもたらす集団主義である。集団主義は知的好奇心の退化・発想の硬直化を招く。若者達はこの集団主義を嫌うのである。それはとりもなおさず、従来の長期雇用がその知的生産性を失い、退化・硬直化の局面を前面に出してきたということに他ならない。
 長期雇用と教育投資という日本企業が知的生産性を獲得するために用いてきた組織形態の有効性は、同じ組織が作り上げた集団主義のもたらした知的硬直性のゆえにいま揺らいでいる。
 かつて有効であったものが、いま何故、枷となるのか。それは知的生産の課題の中心がコピープロデュースに付随する開発テーマであったのに対して、幅広くあらゆる領域にわたるクリエイティブプロデュースを取り込むこととなってきたからであろう。若者たちはこのような時代の雰囲気を鋭く直感しているのである。
 固定観念から脱し、「何が良いものか」を正面から課題として取り上げる知的組織は集団主義の枠から逸脱し柔軟にならなければならない。その柔軟性を獲得できない組織は、「ダサイ」のである。
 製造工程の大半は(生産技術の開発というクリエーションを行っているものの)、反復される同一の作業からなる。その反復を行うための組織として現在の企業組織は作られている。企業組織が知的生産に重点を置いていくためにはこの鈍重な組織形態を改変していかなければならない。ただし、これは企業にとってはジレンマである。自らの組織原理を捨てることを要求されるからである。知的生産の効率性は異文化との交流と遊びによって高められるように思われる。日本の企業組織は異文化を排除する共同体ガードによって成立してきたものであるし、また遊びを最小限に限定することによる経済効率性を組織原理としてきた。
 従って、知的生産活動におけるマネージメントの技法は、現在の企業の組織原理に対するカウンターカルチュアとして新たに開発されなければならないのである。  研究・制作の人材をいかに組織するか、採用・勤務形態・待遇・評価など悩ましい課題が山積みしている。研究・制作組織のマネージメント技法は未だ確立されていない。

     
松井隼記念館運営委員会 fieldlabo@as.email.ne.jp
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