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松井隼さんの思索社会システム設計
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『文化産業論』

・文化の産業論的研究(中)
*1 都市文化〜過去をひきずるもの
 イ 肉体的健康と都市文化

・文化の産業論的研究(下)

■ 学生時代の資料

文化の産業論的研究 (中)
われわれが「文化」という言葉に持たせている意味

松井隼/「総合ジャーナリズム研究 No.127」1989年

1 都市文化〜過去をひきずるもの
イ、肉体的健康と都市文化

 人間は狩猟採集の時代に現在の肉体の原型を獲得した。いま現在の生活の中においてもこの肉体の現実から離れて生きることは出来ない。遺伝子工学が性から独立した人間の生命の製造に成功したとしてもその生命は依然として狩猟採集時代の原型にもとづく肉体の生存の様式から脱却することはないであろう。
 都市生活は反自然の生活と考えられている。農村の生活は狩猟採集の時代の生活様式をたっぷりとその中に残している。都市生活は狩猟採集のみならず農村生活をも断ち切り過去と全く新しい生活の形態をつくり出す。しかし人間の生理はそのような断絶を簡単に受け入れるものではない。人間は過去を現在の中に引き入れ過去とともに生きることを必要としている。
 都市生活は狩猟採集の時代の人間の肉体の健康の条件を全く無視している生活である。
 都市生活の肉体を開発してゆくことがわれわれに出来ることであるのなら別であるが、その見通しのまったくない現在、我々は都市生活の中に狩猟採集の時代の条件を意図的に作ってゆかねばならない。


ロ、精神的健康と都市生活

 靖国神社と広島、戦後の日本はこの二つの鎮魂の象徴並びにその他無数の墓碑銘を巡って生きてきた。もし過去の日本を象徴するこの二つの記念碑が無かったなら戦後の日本は存在しない。都市化して過去を見失ってしまったかに見える現代の日本社会も精神の奥深くに戦争の体験を大切にしまいこんでいるのだ。戦争で死んでいった人々への鎮魂の心が消え去ってしまう時、戦後の日本社会は終わりをつげる。
 過去を抱えることを許容しない生活が現代の都市生活である。これこそ改変すべきことがらである。死を悼むことが人間の生理としてどんなに大事であることか。死を悼むことは生を尊ぶことと等しい。
 東京と都市生活はこれらの過去を忘却しようとしている。絶え間無い変化の嵐の中で死は忘れられていゆく。昨日の風景が今日変わっていることは毎日のことである。昨日の風景に執着していては今日が過ごせない。
 しかし過去に執着することが人間の自然である。


2 都市文化と未来〜若者文化

 若者たちに富を譲り渡してゆく過程の作り方が問題である。教育・贈与・相続等の大人からの富の委譲の形にたいして、若者は自分たちの働きで自らの現実の富をわがものとしようとする。
 可能性の塊である若者はしばしば現実の徹底的な批判者となる(可能性の塊である若者にたいして現実のしがらみの塊と化した大人という対比、過去の約束の世界に捕らえられた大人たち、未だ約束に縛られずに未来への夢にはばたこうとしている若者たち。可能性の塊はしかし現実性の欠如に等しい場合がある)。若者は殆どの場合に現実社会に何物をも持たざる者として登場する。富は大人たちが専有している。若者は大人たちが専有している富を自分たちの手に奪い取らねばならない。
 戦国時代の若者は槍一本で国盗りをした。ギリシャの叙事詩に登場するヤーソン。アメリカ西部の開拓者たち。新天地の開拓者は常に若者が中心であった。革命の勢力となるのも若者である。マルクスは十九世紀のイギリスの社会的安定についてイギリスの優秀な若者たちにたいして当時のイギリス社会が与えた寛大なビジネスチャンスを一因としてかぞえている。
 地理的空間としての新天地が存在しない社会においても社会の位相空間の新天地は常に存在している。その新天地の開拓者となるべく定められているのは若者である。  新天地の発見と開拓は創造的な精神の所産である。創造的な精神は新天地を発見するのに最も近い地点にいる。社会の位相空間の中に新天地を発見することは既存の社会のつくり出している意味の体系を乗り越え、存在にたいする新しい見方を見つけだすことにもとづく。意味の読み替えは遊びの精神の得意とするところである(遊びの精神/日常の意味の世界から解き放たれること。日常の意味の世界を無視する時、存在は様々な意味に輝く世界として新たに出現してくる。遊びは日常にたいして常に危険な反逆の可能性を持つ行為である。日常の意味の世界を無視しているからである。批判精神は遊びの中に育まれる。)
 社会の位相空間の新天地の開拓は既存の社会的利害関係を再編成することに繋がる。富の社会的移転はその様な形をとおして行われる。
 最早地球上に一片の未開の地もない現代では若者は西部の開拓者を夢見ることが許されない。いまある社会の中に新天地を発見することが若者の使命となっている。富を持つ大人たちが次の世代にそれを委譲してゆくのにもっとも正しい方法は、若者の創造的な精神にたいして支援を厭わないことであろう。

 
松井隼記念館運営委員会 fieldlabo@as.email.ne.jp