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松井隼さんの思索社会システム設計
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『文化産業論』

『21世紀への高等教育』

『チケットぴあの創業過程』
*(11) 「チケットぴあ」の名称
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「チケットぴあの創業過程---今井仁さんインタビュー」

聞き手 山本 眞人
06年10月29日

(11)「チケットぴあ」の名称

今井:開発段階でPTS(ぴあチケットシステム)と呼ばれたこのシステムが、「チケットぴあ」になるには多少の物語があります。最終的には矢内社長が命名したものです。
 それにいたる裏話としては、「ぴあ」という雑誌の名称に遡ります。
 「ぴあ」は1971年に、当時大学4年生だった矢内さんの6畳の下宿で生れます。「ぴあ」とは「ぴ」と「あ」を組み合わせただけ。「意味の無い言葉が常に時代で新しい」と社長はよく説明されていました。その基になった原体験はお茶漬けのときに好きで食べていた「カッパぴあ」とかいうきゅうりの漬物があって、その「ぴあ」という響きがいいなあと思っていたとか・・その潜在意識への刷り込みがあったのでしょうか・・(聞いた話なので定かではありませんが・・)
 1982年ごろ「筑波会議」という文化人のイベントがあり、私は矢内さんを会場の筑波大学に案内しました。そのとき知り合った筑波大学の哲学の小田晋教授が「私は今日矢内さんと会えてとても嬉しい。と言うのは、ぴあという雑誌の命名者は大変教養の深い人だと思っていました。古代ギリシャで「ピア」とは城壁のない開かれた都市という意味で、城壁都市同士で戦争していた時代から、時代を変える役割を果たした言葉なのです。たとえばオリンピアという城壁の無い都市で、始めてどの世界からも参加できる開かれたスポーツ大会、オリンピック大会というスポーツの祭典が開催されたのです。オリンピック開催中は戦争も中止されました。「ぴあ」は東京という都市を情報で開かれた都市にするという意味が隠されているのではと常々思っていたので、命名されたご本人にその辺を聞いてみたかったのですよ・・」  「まあ その・・・・」
社長はぴあの名前の由来をめったに話しませんが、以後話すときはこの話を申し添えるようになったようです。
 ですから「チケットぴあ」とはチケットの世界を誰でも平等に取れる開かれた仕組みにするという社長の理念をも読み取ることができます。 開発当時私の友人でアメリカからの留学生にこんなことを考えていると話したところ、それはアメリカにある「チケットロン」みたいだというではありませんか。「何ソレ?」とよく聞くとコンピュータ・オンラインで興行のチケットを取れる仕組みだという。「ははあ、長谷川さんが見てこられたのはこのことかな。是非見たいものだ」と思い、松井さんに相談しました。ところが松井さんは「今井さん見ないほうがいいよ。」と言います。「えっ、なんで?」「見たら真似してしまう」「さすが・・・」それで見ないでせっせとシステム概要設計を進めたのです。システムが出来上がりオープンしてからよく両者の内容を比べたら、あるところでは、チケットぴあにその機能は無く、あるところではチケットぴあの方が進んだ考えだったということもあり、松井さんのいうことを聞いて良かったと感心したものでした。
 長時間ミーティングが続く時期、息抜きに、劇団四季の大島さんに連れられ松井さんと新宿にある「テアトロン」という四季の方々のたまり場のような酒場に行きました。気になったのは店名の「テアトロン」。聞けばギリシャ語でシアターの語源と言うではありませんか。「ははあ これだ」「チケットロン」の「ロン」はマージャンのロンかと思っていたけど、シアターの語源のテアトロンから来ていたのか、恐れ入りました。と感心して、「チケットぴあ」なんかがいい名前だなあとか考えて、松井さんに機会あるごとに言っていたら、いつの間にか「チケットぴあ」になった。


(12) 人気チケット予約の電話番号 9999

今井:電話予約が殺到して、電話局の専門用語で企画型輻輳(ふくそう)といって、人気チケットの場合は交換機がパンクしちゃうんですね。殺到する電話の信号を交換機がさばききれなくなって機能がダウンしてしまうのです。地震などの災害が起った時も家族の安否を心配する人の電話が殺到してパンクすることがあり、それを災害型輻輳というのですが、人気コンサートのチケット売り出しは企画型の輻輳というわけです。ある交換機がパンクすると周辺の電話局に負荷が移り連鎖反応を起し、町中の電話が使えなくなってしまう、電話のコールの殺到が長く続くと、東京中の電話局の交換機がドミノ倒しのように次々にダウンしてしまい、広範囲で電話が不通に陥る。(私が在職中に3回やってしまいましたが)。そういうことを想定して九段電話局でどうしようかという話を営業課長と延々としまして、電話局の局番を変えちゃおうということになった。それで、そういう問題が起こりそうな電話番号を収容する交換機を1台作るから、そこにみんな収容しようということを決めてくれて、そのためにアメリカから結構な金額の打たれ強い交換機を入れてくれた。電話番号も特徴のある問題のないものにしようということで、よく考えて、9999という番号を運用課長と私が思い付いたんです。それは次の番号がないから。話中だと人はみんな次の番号を回しはじめるんだけど、9999はどん詰まりで0000へ行かないだろうと。それと9とか4とかは苦しい死ぬに通じ、この電話番号は一般に出してなかったから、間違っても局の中で使っている電話に入ってくる。だから、9999にしましょうという話になって、他さんもだいたい今予約電話が殺到するものは9999にしているようです。で、チケットセゾンはスタートに当たって6666って、しゃれて反対で始めたら、6667、6668という市中に売ってしまった番号の所にものすごく迷惑がかかって、池袋はたいへんな騒ぎになったというおまけつきです。そういう9999の秘密とか、人気が殺到するようなものは、普通の電話番号の予約ではなくて9911などの特電にしました。特電は、実は、当時はその裏側では、オンライン、リアルタイムでコンピュータ対応してなかったんですよ。それは、セゾンさんは最後まで気が付かなかったんだけど。
 実は私はよく徹夜してましたが、パンツか何かの袋にバーコードがついていて、これだと思いついた。要するに、先着順に時刻を記入して、何枚というチケットの枚数をシールにして張り付けて行く。1枚、3枚、2枚、4枚、最高4枚までなんだけど。そしてそのシールを配る人の手許のシールがなくなった時点が、席がなくなったということなんだから、そこで完売と。で、アローアンスを作るために、50枚100枚のシールを予め捨てておく。そうすると、完売しても、席の割りつけができないとか、不具合にも対応できる。そういうような秘密のノウハウがあったんです。そのためにチケットぴあの特電は早かったんです。時刻を記入したラベル方式で特電の処理時間をものすごく短くできる。チケットセゾンは全部同じ手続きでやっていたから、1件にものすごく時間がかかる。普通に電話でやっていると1件に3分か4分かかるんだけど、そのシール方式だと1分かからない。「何枚ですか」で予約番号を伝えて、「何月何日までに取りに来て下さい」とか「郵送ですか」とか。チケット割付の後処理はバッチでゆっくりやればよい。そういうような販売の効率化を図った。松井さんはそのへん頭が柔らかくて、すべて認め任せてくれました。


(13) チケット販売のマージン率の設定

今井:それで後は、マージンの問題。結局我々の最終的なお客さんである発券元に対しては、いくらでその仕事を引き受けるかということが非常に重要な問題で、最後まで松井さんや社長が経営判断を一生懸命やろうとしていた。当時、プレイガイドで10パーセントが主流だった。それを、10パーセントの販売マージンプラス2パーセントのシステム使用料っていうのを、矢内さんと松井さんが編み出した。だから12パーセントになるわけですね。結局強いプロモーターは、10パーセントを下げろと叩かれるんだけれども、システムの使用料は、「これだけでかいシステムだからしょうがない」ということになる。しかも販売週報が出てくる。今までだいたい半分以上、6割7割がチケットを売るエネルギーで、3割で作品を作るというような劇団が、プロモーターの仕事の7割の部分がググーッと楽になるわけですね。10か20パーセントぐらいの労力で、あとの8割は作品を作る方に振り向けられるようになった、あるいは人を削れるようになった。という意味では、2パーセント払えばええやないかという話になる。あと、チケット用紙代1枚10円。で、チケットぴあにある程度いい所を残してくれたら、発券して自分達で手売りしてもいいよという仕組みを作ったもんだから、割と受け入れられたんですね。それも松井さんのお考えで、最後はそれでずーっと営業していった。

    
松井隼記念館運営委員会 fieldlabo@as.email.ne.jp