文化の産業論的研究 (中)
われわれが「文化」という言葉に持たせている意味
松井隼/「総合ジャーナリズム研究 No.127」1989年
3 都市文化〜商品化されないもの
我々は都市の中で生活しつつ動物として肉体を再生産し過去の鎮魂を行い精神を再生産し未来に向けて創造活動を営む。
その様な場である都市に必要とされる環境を具備して初めて都市が人間たちの巨大な集合体ではない何者かになる。
都市生活文化は無数の消費活動の集積として実現される。
無数の消費活動は個別にバラバラの活動としては存在しえない。
都市の機能には市場システムに委ねることの出来ない部分が大きく存在する。
「はらっぱ」は現代の都市には存在しない。豊かな遊びの空間の代わりに、天文学的な値段の不動産物件として有刺鉄線に囲まれた空き地があるのみだ。「公園」はボール投げ禁止の管理された空間でしかない。学校の校庭は事故を起こして先生を困らせることのないように授業が終れば子供たちは校外に締め出される。しかし、かつては道路さえ子供たちにとっては「はらっぱ」であった。
昨年神戸外大の野田正彰教授がサンケイ新聞に「漂白される子供たち」という表題で子供たちが撮った写真による子供たちに関する研究報告を連載された。この連載の中にテトラポッドで遊ぶ少女たちの生き生きした写真が掲載されている。
「彼女は大人たちが作った道具や建物、波よけのためのテトラポッド、引き上げられた舟、防波堤、さらには自然そのものを、自分で発見し、遊びのために再構成している。風景と道具は彼女たちによって、[二重使用]されているのである。」
野田教授のこの研究報告のせいで危険なテトラポッド遊びを止めさせようと教師や親たちが動き出さないとも限らない。
ベストセラー「ノーライフキング」(いとうせいこう)のなかで主人公の少年たちは学習塾の通信ネットワークを彼らの密かな噂をつたえあうネットワークに転用してしまう。「はらっぱ」は都市空間から追い出されケーブルの中に閉じ込められるのである。閉じ込められると言ったが、もはや「はらっぱ」が空間として消滅しているとき、住み心地の善し悪しは別として、ケーブルの中にそれが蘇生するというのであればたいへん結構なことではなかろうか。
このようなことを考える発想そのものが市場システムの中からの発想ではない。
アダム・スミスが国家や行政のために留保した領域に囚われる必要は全くないが、しかし国家や行政の分担すべき領域は改めて検討すべきテーマである。
企業と文化とか企業文化とかいうとき、組織集団としての企業が問題とされている場合と利益の社会還元等の視点から資本の論理が問題とされている場合とがある。
以下、議論の前提として資本・企業組織・事業を別個の概念として捉えておきたいと思う。
資本は利潤を上げ回収されるべき経済的資産である。資本には資本の論理がある。
企業組織は人間の集団であり、組織集団として別の論理がある。
事業は具体的な「事」である。例えば河川に橋を作ることであり、例えば映画作品を制作し発表することである。事業には事業の個別の論理がある。また特に注意せねばならないのだが事業は個別の企業の中で完結するものではないということである。事業は企業と企業の間に跨がるものであり、消費者を巻き込むものである。
各々の概念は論理的に独立しているが、現実の中では資本が企業組織に投資され、企業組織が具体的な事業に従事し、企業組織に資本が蓄積されるといった関係の中にこれらの概念は結びあわされる。
個別の企業はその様な具体的な結合の中に存在しているので、資本と企業組織と事業を切り分けて考えるということは馴染み難いことかもしれない。例えば、出版企業は出版事業に対して投資する金融資本であり、編集者たちの組織集団であり、出版事業を事業として具体化するための中心となる場である。映画制作会社は映画制作事業に対して投資する金融資本であり、映画制作者たちの組織集団であり、映画制作を事業として具体化するための中心となる場である。
企業に於ける資本・企業組織・事業の結合の形態には様々なバリエーションが存在するし、しかも状況の変化とともに変化してゆく。映画会社がいつの間にか不動産会社になってしまうことも起きる。資本と事業の結合が変わったのである。同時に企業組織もかわっているはずである。
企業は人と異なって死を予め定められている訳ではない。企業にも寿命があるということはよく語られるが見方によっては数世紀にわたって存続している企業もある。
とはいうものの、企業の永続性というものはしかし形式的・抽象的な性格が強い。
資本が利潤を上げて再生産され続け企業組織が新しい人材を組み入れつつ再生産され続けるとき企業組織に死はない。しかし事業は長期間にわたるものもあるが短期的なものもある。橋を作る事業は橋が完成したとき終了する。映画を作る事業は映画が完成したとき終了する。
事業の形態分類
[期間限定の事業]=プロジェクト型事業/キャンペーン型事業/事業開発事業/商品開発事業/研究開発型事業
[期間無限定の事業/同一業務の長期的反復を基本とする事業]=オペレーション型事業/メンテナンス事業
期間限定の事業は必ずしも永続的な企業によって遂行される必要性はない。その事業を遂行するのに必要な資金と人材が揃えられ一時的なその期間の組織を編成出来れば良い。実際映画制作の多くはその様にしてなされているし、巨大な規模のプロジェクトの場合でも資金と人材を拠出するアドホックな組合が目的に合わせて結成される。
しかし、類似のタイプの事業が数多く遂行される必要があるとき、その様な組織をその都度に編成する煩わしさを避け、専門家集団として永続的な企業の中に取り込んでしまうことが行われてきた。その結果あらゆる領域に企業が成立することとなった。
現代の時代の潮流はひょっとしたら逆向きに方向転換しつつあるのかもしれない。