社会改革者としての賢治

●賢治は新しい農村コミュニティづくりをめざす社会改革者としての面も持つ。1926年、賢治は花巻農学校を退職し、自ら農業を営むかたわら、羅須地人協会をつくり農村青年を集めて土壌学などについての講義をするとともに、演劇や音楽などの文化活動をともに行った。賢治のこうした側面は、作品の中では例えば「ポラーノの広場」に現れている。

●羅須地人協会の活動に託した賢治の想いは、「農民芸術概論綱要」の中で宣言的な形でつぎのように述べられている。

「農民芸術の興隆-----何故われらの芸術がいま起こらねばならないか----

曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若しくは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術もてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来たってわれらと交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ」
(ちくま文庫「宮沢賢治全集」10)


賢治作品のユーモア
賢治作品のリズム
星や風、生き物からの
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科学と詩の出会い
科学と詩の出会い・2
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としてのファンタジー
異質の者に対して
開かれた心
子供から大人への
過渡期の文学
作品の多義性、重層性
作品における
倫理的な探究
エコロジスト的な探究
教師としての賢治
社会改革者としての賢治

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