●賢治は新しい農村コミュニティづくりをめざす社会改革者としての面も持つ。1926年、賢治は花巻農学校を退職し、自ら農業を営むかたわら、羅須地人協会をつくり農村青年を集めて土壌学などについての講義をするとともに、演劇や音楽などの文化活動をともに行った。賢治のこうした側面は、作品の中では例えば「ポラーノの広場」に現れている。
●羅須地人協会の活動に託した賢治の想いは、「農民芸術概論綱要」の中で宣言的な形でつぎのように述べられている。 「農民芸術の興隆-----何故われらの芸術がいま起こらねばならないか---- |
|
|