●賢治は小さい頃に周囲の人たちから「石っこ賢さん」と呼ばれていた鉱石好きの少年だった。盛岡の大学時代とそれに続く研究生の時期に、地質学を学び、地質学者の卵としての仕事もしている。 ●地質学では、さまざまな地層を掘ったり観察することを通じてある地域の地形や地層の形成のメカニズムと歴史を洞察していく。その前提となるフィールドワークの際には、野山や川を歩きながら、観察した事項をその都度ノートに書きとめていく。こうした地質学の方法が賢治の仕事全体の土台となったと考えることができるのではないか。
●「注文の多い料理店」と同じ時期に刊行した詩集「春と修羅」について、賢治は詩集ではなく「心象スケッチ」だと言っている。心象スケッチとは野山を歩きながら、風景や生き物、気象について感じたことやそれにともなう感情や思考、想念の流れを細かく書きとめていく方法であり、地質学のフィールドワークの方法が変形されたもののようにも思える。
●「春と修羅・序」では、宇宙や地球や生命が生成した時間の積み重なりと、「わたくしという現象」との関係が問いかけられている。賢治は宇宙や地質の歴史を感じるのも心の現象に過ぎないと言う。 |
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