心のたしかな出来事
       としてのファンタジー


●賢治は、優れた科学的な観察力をもつと同時に子供のような心をもち続けた人で、冷静な現実世界の観察と神話的な空想の世界とを往き来し、両者を結びつけることができた。そういう意味で、科学者であると同時にシャーマン的な性格の持ち主であったと言える。つまり、境界を超えて、あちらとこちらを媒介する人だった。
 そうした資質をもった賢治にとってファンタジーとは架空のことではなく、「たしかにこの通りその時心象の中に現れたもの」(「注文の多い料理店」の広告)であり、どんなに奇妙に思えようとそうした心の深部から生まれてくるものに真理が含まれると賢治は考えた。

●そこで賢治の物語では、登場人物の人間と生き物や場所との交感が高まりファンタジーの世界に踏み込んでいく心の状態の移り行きが繊細にリアルに描かれることが多い。
 たとえば、「なめとこ山の熊」の小五郎、「鹿踊りのはじまり」の嘉十のように山村で生活し動物たちの営みを身近に感じている人が動物どうしの親密なやりとりの場面に出会った時、にわかに動物の語りあう言葉がわかるようになる。そういう場面では心の有り様が緻密に描写される。「茨海小学校」の「私」の体験の場合も同様である。

「インドラの網」でも、冷静な観察者の視点と幻想とが独特な形で結びつけられている。この作品では、科学的な見識をもった旅人が疲れて空気が希薄な高原を歩くうちに、意識は幻想的な状態に入り込むが、それを科学者の意識が観察しているという書き方になっている。


賢治作品のユーモア
賢治作品のリズム
星や風、生き物からの
贈り物としての詩、物語
科学と詩の出会い
科学と詩の出会い・2
心のたしかな出来事
としてのファンタジー
異質の者に対して
開かれた心
子供から大人への
過渡期の文学
作品の多義性、重層性
作品における
倫理的な探究
エコロジスト的な探究
教師としての賢治
社会改革者としての賢治

宮沢賢治とは誰か  宮沢賢治の宇宙